ノジュール6月号
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人類が共有すべき顕著で普遍的価値を持つ文化遺産として世界にアピールできる存在となったのである。 しかし登録を推進するにあたっては、課題もいくつかある。鎌倉の寺社は火事や地震などの被害に遭うことが多く、室町時代や江戸時代などに建てられた立派な建造物はあるものの、鎌倉時代に造られたオリジナルの建物は、荏え柄がら天神社の本殿(鶴岡八幡宮の若宮を移築したもの)など、わずかしか残っていない。埋蔵文化財という点でもやや問題がある。たとえば源頼朝の御所でありここで政治を行ったとされる大倉幕府跡は、一部が小学校の校庭、その他の部分も宅地となっており、発掘が難しい。「そうした種々の問題点があるとしても、わたしは鎌倉が世界遺産になることを大いに期待しています。世界遺産登録をきっかけとして、これまでにない新たな街づくりの方法を皆で考えることができると思うからです。通常では不可能なプランも、世界遺産になったら実現できる可能性もあるのでは」 高木さんの目には、まるで世界遺産となった新しい鎌倉の街のありようをいろいろ思い描いているようだった。 高木さんは、世界遺産に関する認識を深め、登録にふさわしい鎌倉の価値や魅力を市民の手で育てて行こうという主旨のワークショップで進行役も務めておられる。2008年に開催された第2回ワークショップでは、「世界遺産おすすめルート」を皆で考え、武家政権の痕跡をたどるコース(極楽寺〜一升桝遺跡〜大仏切通〜北条氏常盤亭跡〜仮粧坂〜寿福寺)、鎌倉観光・王道コース(北鎌倉駅〜円覚寺〜建長寺〜鶴岡八幡宮〜江ノ電鎌倉駅〜極楽寺〜長谷寺〜鎌倉大仏〜バスで鎌倉駅)、禅の道コース(北鎌倉駅〜円覚寺〜東慶寺〜浄智寺〜建長寺〜浄光明寺〜寿福寺〜鎌倉駅)などの個性的なルートが出揃った。「しかしわたしは、鎌倉最大の魅力は、やはり三方山、一方海の地形だと思っています。鎌倉を取り囲む山には京都や奈良にはない切通ややぐらがあり、それこそが、武士たちが築いてきた鎌倉の歴史です。われわれ現代の住民も、東京方面から横須賀線に乗ってきて北鎌倉の駅に着くと、ああ、鎌倉はいいなあと思う。それは鎌倉を守る城塞としての機能も備えた山に癒されるせいかも知れません」 昨秋、世界遺産に関連して鎌倉で講演を行い、東日本大震災後に日本国籍を取得した日本文学者のドナルド・キーンさんも、30年前に刊行された『日本細見』の中で「わたしの記憶にもっとも鮮明な跡を残したのは、建長寺の裏手にそびえる山の中腹に残っているやぐら群だった」と記している。当時から、外国人にとっても、やぐらは鎌倉を代表する魅力的な存在なのだ。「しかし、やぐらは世界遺産暫定リストの重要な要素に含まれておらず、山道で危険もあることから普段は非公開のものも多い。それらの整備もきちんとして常時公開にして欲しいですね」鎌倉の山を愛する高木さんは、そう話を結んだ。 外から訪れる観光客であるわたしが見ても、京都や奈良とは違う鎌倉のよさは山にある。鎌倉の寺は多くが谷や戸とに建てられ、境内は山に向かって広がっている。それを奥へと進むと、しゃれたカフェやレストランが並ぶ街の中心部とはまったく違う、さわやかな自然と出会うことができる。武士たちはそこを切り開いて道を作り、生死をかけた旅や戦いを繰り広げ、死者を悼むためにやぐらを掘った。世界遺産に登録されるかどうかは外国人の決断にゆだねられているが、歩くだけで中世の人々の息吹を身近に感じられる鎌倉は、われわれ日本人にとって何にも代えがたい心の文化遺産であると思う。鎌倉幕府において、源氏の氏神を祀る重要な神社であり、また国家鎮護の神社として全国的に篤い崇敬を受けるようになった。鶴岡八幡宮鶴岡八幡宮とともに、武家政権の正統性を保証する神社として重要視された。背後の山を垂直に切り下げて造営した境内は、鎌倉における社寺境内のつくりとして特徴的。荏柄天神社山を歩くと本当の鎌倉が見えてくる63nodule 2012 June

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