ノジュール9月号
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込み、上杉から引き抜こうとしたほどの名将。最上との戦いが続くなか、西軍の敗報が伝わると、兼続は見事な手際で陣を引き上げて米沢に帰還した。米沢城はこの当時兼続の居城であった。なお、かつては伊達氏の居城でもあり、伊達政宗はこの城で生まれている。 西軍に与したため、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石へと大幅に領地を削られて転封となる。当時、米沢は人口6000人ほどの町で、そこに上杉の家臣団とその家族ら約3万人が移住してきたから大変だ。景勝の信任のもと、兼続は新たな城下町造りに着手した。 いま米沢城址を訪れると、土塁と水堀で囲まれた造りで30万石の大名の居城としては簡素な印象を受ける。実際、米沢城には石垣は築かれず、天守も造られなかった。これを「幕府の目を気にして、遠慮して造らなかった」と見る向きもあるが、それよりも石垣や天守は贅沢な建造物であり、財政再建の折にそんなものはいらないと、景勝と兼続は判断したのだろう。ただし防備を怠ったわけではない。それまで本丸と二の丸しかなかった米沢城の外周に、新たに堀を造って三の丸を造営し、そこに家臣たちを住まわせた。さらに、米沢JR米坂線奥羽本線(山形新幹線)山形へ法泉寺善行寺東源寺鳳台寺市民文化会館松川河川緑地公園大町上上杉神社前山大正門御廟所西口相生橋第一中文殊橋 米沢東高米沢商高第二中住之江橋北村公園上杉家廟所松岬神社旧米沢高等工業学校本館宮坂考古館上杉神社米沢市上杉博物館酒造資料館東光の酒蔵林泉寺上杉伯爵邸福島へ最上川米沢市121121287N500m米沢城址(松が岬公園)出羽の織座 米澤民藝館モデルコース米沢駅⬇バス11分米沢城址⬇徒歩すぐ松岬神社⬇徒歩すぐ米沢市上杉博物館⬇バス4分林泉寺⬇バス4分上杉家廟所⬇バス4分法泉寺⬇バス19分宮坂考古館⬇徒歩8分米沢駅■米沢城址の歩き方舞鶴橋➡天地人像➡上杉神社➡稽照殿➡北東隅櫓跡➡菱門橋➡上杉伯爵邸米沢城址 よねざわじょうし※現松が岬公園(まつがさきこうえん)☎0238-22-3189(上杉神社社務所)山形県米沢市丸の内1-4-13見学自由 無休 無料(稽照殿は400円)JR米沢駅から市街地循環バス「ヨネザアド号」で11分、「上杉神社前」下車徒歩すぐ永禄3年(1560)、越後国(新潟県)に生まれ、幼少の頃より上杉景勝(上杉謙信の養子)に仕える。上杉家家老として重きをなし、軍略面では参謀として、政治においては財政面の責任者として活躍した。元和5年(1619)没。享年59。米沢市上杉博物館蔵直江兼続【なおえかねつぐ】質素ながら堅牢な構えの城63nodule 2012 September ◀上杉景勝(左)、直江兼続主従の戦場での姿▲上杉謙信は毘沙門天を信仰し、旗印とした◀現在の社殿は著名な建築家伊東忠太の設計堀に突き出した土塁上に三重櫓が立っていた米沢城内堀の北西側は蓮が群生し、夏には美しい花を咲かせる水堀「毘」の旗天地人像上杉神社北東隅櫓跡児童会館座の文化伝承館春日神社祠堂跡上杉鷹山公像上杉謙信公像上杉伯爵邸菱門橋上杉神社稽照殿北東隅櫓跡舞鶴橋天地人像

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