ノジュール9月号
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築城を考えた場合、まずはどこに城を築くか(立地)、城全体の大きさ、堀の幅や石垣の高さ、門の配置などを決定する。これらすべての設計を縄なわ張ばりという。設計の際に実際に縄を張ったことが名前の由来だ。そしてこれを図にしたものが縄張図である。 城の内部は堀、石垣、土塁などで囲われたいくつかの区画に分けられているが、この区画を曲くるわ輪(郭)と呼ぶ。中心の曲輪を本丸、それに続く周囲の曲輪を二の丸、三の丸という。また西の丸など、独自の名がつけられた曲輪もある。これらの曲輪の広さや配置を決めるのも縄張の際の重要な仕事だ。 城の縄張は、曲輪の配置のパターンによって、輪りん郭かく式、梯てい郭かく式、連れん郭かく式の3種類に区分される。 実際の築城は、まず縄張に沿って土を掘り、掘った土を固めて土塁を作る。堀と土塁は敵の侵入を遮断する重要な防御施設となる。堀は水のない空から堀ぼりと水をたたえた水みず堀ぼりに分けられる。空堀は水がたまりにくい山城に主に設けられ、空堀に入った敵の動きを封じるために、たいていは狭く、深く造られる。堀の底面には仕切りを設けたり、逆さか茂も木ぎを置いたりするなどの工夫が凝らされた。また、山の斜面の横方向の移動を遮るために、等高線に対して垂直に造られたものを竪たて堀ぼりといい、敵の自由な行動を制限するために、堀の掘削時にあえて土の一部を残しておくものを堀ほり障しょう子じという。 水堀は平地の城に設けられることが多い。空堀の幅が狭いのに対して水堀は広く造られる。平地は攻めやすいために、堀が狭いと敵に仮設の橋などを架けて渡られてしまうからだ。また、鉄砲の発達によって城外から射撃されるようになったため、堀の幅を広くして防衛する必要もあった。 一方、土塁は土を盛り上げて固め、壁の役割を果たす。戦国時代後期以降は石垣が作られるようになるが、それ以前は土のみで作られていた。また、山城の時代は山の斜面を削って造りだした切きり岸ぎしが主流だった。土塁の表面は土をたたきしめてつるつるにし、急斜面の滑り台のようにする。見た目は地味だが、じつは石垣よりも土塁のほうが防御能力は高いのだ。ただし、雑草などが生えると敵が登りやすくなるため、草むしりが必要だったし、雨で崩れることもあるため維持管理には手間がかかった。本丸本丸二の丸二の丸三の丸三の丸本丸本丸二の丸二の丸三の丸三の丸本丸本丸二の丸二の丸三の丸三の丸二城はどうやって造られる?堀ほりしょうじ障子連れん郭かく式輪りん郭かく式梯てい郭かく式竪たて堀ぼり水みず堀ぼり空から堀ぼり縄張の基本形式堀と土塁の種類基礎工事は堀と土塁縄張と曲輪の設計71nodule 2012 September北条氏が得意とした堀で、空堀の底を細かく区画し、敵の動きを止める(写真:山中城)横の移動を防ぐだけでなく、石を転がして敵を粉砕する役目も果たした(写真:彦根城)水がない分、堀は深く掘られ、土塁や石垣の上部から、堀底の敵を攻撃した(写真:山中城)平城の水堀は、幅が100mを超えるものもある。深さは背が立たなければ充分(写真:大阪城)本丸の四周を二の丸が囲む。例は大坂城、二条城、米沢城など本丸の二方または三方を二の丸が囲む。例は姫路城、江戸城、岡山城など本丸、二の丸、三の丸などが直線上に並ぶ。例は高松城、水戸城など

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