こだわり1万円宿 第4回

旅ライターの斎藤潤さんおすすめの、一度は泊まってみたい宿を
「予算1万円」に厳選して毎月1宿ご紹介します。

鹿児島県

民宿 ゆきむら

波の音を聞きながら、
過ぎゆく時に身を任せる

主人がコツコツ建てた
心温まる宿
「最近この辺ではうちが一番安い宿になったみたいなの。できた頃は、一番高い宿だったのに」

加計呂麻(かけろま)島南岸の小さな集落勢里(せり)にある民宿ゆきむらの女将が、美猫のミイを優しくなでながら呟いた。2014年7月、成田-奄美大島間にLCCのバニラエアが就航して、首都圏と奄美の航空運賃は劇的に安くなった。その結果、奄美大島南部の加計呂麻島へ渡る観光客も増え、宿が続々と値上げし、「ゆきむら」は相対的に安い宿になってしまったという。

古仁屋(こにや)から大島海峡を渡った対岸の瀬相(せそう)で、宿のクルマが待っていた。トンネルを抜けて南海岸に出ると、青い海が広がる。寅さん最後のロケ地の一つ於斎(おさい)だ。巨大なガジュマルの近くに記念碑があった。海沿いにさらに3、4分走り、クルマは一軒家の広い庭で止まった。どこにも看板はない。道を挟んだ反対側のモクマオ林の向こうに、澄み切ったサンゴ礁の海がかいま見えた。

玄関には唐箕(とうみ)などの古民具や、女将が作った個性的なオブジェがたくさん飾ってある。いいセンスだ。客室は畳敷きで、仕切りは鍵のかからない襖のみ。囲炉裏を備えた広々とした居間兼食堂があり、周囲の壁にはこれでもかというほど未開封の酒瓶が並んでいる。何か特別なことがあった場合、お客と一緒に飲むという。

建物は、ご主人が何年かかけてコツコツと手作りしたもの。白木の内装が清々しく、玄人はだしのできだ。ご夫婦に子どもがいないので、老後はお客さんたちと楽しく語らいながら過ごそうと、こぢんまりした宿をはじめたという。

一人旅歓迎で、主人の満吉さんも一緒に飲みながら、皆でテーブルを囲み食事をいただく。心和む空間では、初めて会する一人客もグループ客もすぐに打ち解けて、親しく話しはじめる。

島の珍味を味わい
島の自然を堪能する
島の新鮮食材をたっぷり使った料理で、ご主人が沖で釣ってきた地魚や女将が目の前の海で漁ってきた貝や海藻、自家菜園で作っている珍しい野菜などが並ぶことが多い。ハナモズクで作る珍しい郷土料理カシキャ煮は、ここ以外で食べることができないのではないか。真珠を取るマベガイの貝柱や初めて名前を聞く魚の刺身、イカのスミ汁などが出ることも。

冬は島で獲れたリュウキュウイノシシの極上肉を、囲炉裏で焼いたり鍋にしたりすることもある。そんな時は、豚と全く異なる脂のうまさに感動するに違いない。

島内観光もいいが、日がな一日海辺のハンモックやデッキで、ぼんやり過ごすのも最高の贅沢だ。もちろん、時々顔を見せるウミガメを見ながら釣りをしてもいいし、サンゴ礁の海でシュノーケリングするのも楽しい。

裏山から朝日が昇り、前の海の島影に日が沈む。夜は満天の星や流れるような天の川。過ぎ行く時に身を委ねているだけで、幸せな想いにひたれるだろう。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書は『日本《島旅》紀行』『島ー瀬戸内海をあるく』(第1〜第3集)、『絶対に行きたい!日本の島』など。
今夏、『ニッポン島遺産』、『瀬戸内海島旅入門』を刊行予定

(ノジュール2016年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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