[エッセイ]旅の記憶 vol.47

旅の扉

川上 弘美

旅の扉、という言葉を読者のみなさまはご存知でしょうか。

それは、ゲーム「ドラゴンクエスト」に出てくるもので、「旅の扉」と呼ばれる渦の中に立つと、不可思議な音楽と共に、異なる場所にある「旅の扉」まで瞬間移動できる、というしかけのものなのであります。

ふだんわたしは、ほとんど家にいます。自発的に旅に出ることは、二年にいっぺんくらいしかありません。実際には一月に一回くらいは新幹線やら飛行機やらに乗り、住んでいる町から遠出するのですが、それらはほぼすべて、仕事の旅。仕事の旅は、たいがい一人旅です。目的地に着けば仕事をご一緒する方々と合流するけれど、終わってしまえば一人でホテルに帰り、また一人で新幹線あるいは飛行機に乗って、粛々と帰路につく。

そんな旅ばかりしているうちに、「旅は淋しい」と、反射的に思う習慣がついてしまいました。旅は淋しい。ただし、淋しい旅は、けっこう好きなのです。

時間の使いかたも、食事の場所も、眠る時間も、起きる時間も、全部野放図に選びほうだい。生来がわがままなので、淋しいくらいがちょうどいい、という人生の知恵もすでについています。それでも、一人の仕事旅の、ふとした瞬間ーーそれはたいがい、慣れない枕に疲れて、真夜中にぽっかりと目覚めてしまった時なのですがーーに、突然ほんとうに淋しくなってしまうことは、ままあります。

そんな時、どうするのか。昔は、手元灯をつけて持参の本を読んでいたのですが、なぜだか旅先で真夜中に読む本は、それがどんな内容のものであっても、淋しさを助長するような気がするのです。

だから、最近は、アイパッドミニにドラクエのアプリをしのばせて、旅先の真夜中の寂寥に備えることにしています。ホテルで目覚めた午前三時。ぼんやりしながら、サイドテーブルに準備しておいたアイパッドのカヴァーを開く。ぽちぽちと暗証番号を押す。またぽちぽちと指を使い、ドラクエの画面を呼び出す。ドラクエは旅をするゲームなので、小さな画面の中で、一時間ほど旅を続ける。旅の扉を通って次の町に到着した頃に、少し眠くなる。眠る……。

旅先でする、架空の旅。なんだか屈折しています。でも、実はこれがわたしにとって、旅先でいちばん自分自身に戻れる時間のような気がするのです。現実のさなかにあって、空想のことごとを求めてしまう、これはもしかすると、小説家特有の病というものかもしれませんね。


イラスト:サカモトセイジ

かわかみ ひろみ●小説家。1958年東京都生まれ。
お茶の水女子大学卒業後、高校教員などを経て、94年『神様』でパスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。
96年『蛇を踏む』で芥川賞を受賞。幻想的な世界感をもった作品を多数執筆している。
その他の作品に、『溺レる』(伊藤整文学賞)、『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)、『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)、『水声』(読売文学賞)など。近著に『このあたりの人たち』。

(ノジュール2016年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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