こだわり1万円宿 第8回

旅ライターの斎藤潤さんおすすめの、一度は泊まってみたい宿を
「予算1万円」に厳選して毎月1宿ご紹介します。

北前船で栄えた当時の面影を残す、文化財のような木造建築の宿

玄関に一歩踏み込めば
重厚な歴史が
迫ってくる酒田駅から宿へ向かう途中、浄福寺の唐門に引き留められた。総ケヤキ造りで、波に千鳥の彫刻もすばらしい。さすが、北前船の寄港地として栄えた場所だ。最上屋はそこから3、4分だった。

外観はこぢんまりとしたレトロな宿だが、玄関に踏み込むと歴史を感じさせる空間が迫ってくる。愛想のよい主人が、建物や建具について説明してくれた。建物の主要部分は大正時代末に作られたもので、風呂やその周辺は戦後の建て増しだという。そう言われると、大正の部分は重厚で、戦後はどことなく味わいに欠ける。

玄関の天井板は屋久杉で、木目が詰んでいた。玄関には上等な船箪笥もあれば、内側に桐材を張った立派な金庫もある。まるで、品揃えのいい骨董店のよう。つい足を止めて見入ってしまう。

廊下を通って奥に通される途中、大きな部屋の上部に近江八景が描かれたすりガラスがあしらわれていた。別に富嶽八景もあり、それは雪見障子に使われていたガラス戸だという。土蔵(三重になっていたとか)の扉が嵌め込まれた一角もあった。オバの嫁ぎ先の土蔵の一部を貰い受けたのだという。竜虎の細工を施した金具(錠前)も一見に値する。玄関の格子扉や風呂場の扉の透かし彫りも、他所から持ってきたもの。富士山に帆掛け船の彫り物をした建具も後からの追加だった。

さまざまなお気に入りモザイクタイルも、懐かしさがあふれている。ご主人が趣味で集めたものを、宿の中にさりげなく配置しているのだ。だから、外観から予想したより、内側はお屋敷のようであり古民家の佇まいが漂う。

心がこもった丁寧な
家庭料理に感動タイムスリッププラン(朝食付き)を予約していたので、急な階段を上った3階の四畳半二間続きの隠れ家のような部屋へ通された。多少の手直しを除くと、創業当時のままだという。屋根裏のような場所だが、狭苦しい感じはない。百年近く前の静寂を宿しているようで、妙に落ち着くのが嬉しく、まず畳にごろり。

寝転がって見回すと、障子の丸窓などに銘木があしらわれ、各々の部屋に戸袋天袋がしつらえてあり、ていねいな作りになっていた。二つの部屋をつなぐ空間も、壁に襖2枚をはめてある、面白い造作だ。しばらく昼寝をしてから、周辺を散策して外で夕食をとって宿へ戻った。

あまり期待していなかった翌日の朝食は、厚い鮭の切り身、シソの味噌巻き、卵焼き、塩麹納豆、かぼちゃの煮物、さつま揚げ、自家製の漬物、しじみの味噌汁、フルーツと充実していて、手抜きがない。そして、ご飯は宿こだわりの酒田産コシヒカリ。ふっくらと炊き上げられ、光っていた。

夕食も頼めばよかったと悔やんで、半年後に2食付きで泊った。夕餉の卓に並んだ料理は、妙に凝ることもなく、期待通り心がこもった家庭のご馳走だった。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書は『日本《島旅》紀行』『島ー瀬戸内海をあるく』（第1〜第3集）、『絶対に行きたい!日本の島』など。
今夏、『ニッポン島遺産』、『瀬戸内海島旅入門』を刊行。

（ノジュール2016年11月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。）