[エッセイ]旅の記憶 vol.49

パイパティローマ

池上永一

沖縄の伝承のなかにパイパティローマという実在しない島がある。そこは日本の有人島の最南端・波照間島(はてるまじま)のさらに南に位置するという。その島に住む人々は豊かで、争わず、慈愛に満ちているという。

パイパティローマが知られるようになったのは、ある遭難事件がきっかけである。琉球王府の古文書のなかにこう述べられている。『波照間島の漁師が時化で遭難し、未知の島に漂着した。そこは琉球ではないが、島人は優しく遭難者を保護してくれた。彼らは船を与え再び漁師を琉球に返してくれた。その島は波照間島(パティローマ)の南(パイ)にある』

波照間島の日本最南端の碑から海を見ると、この先に島はないと実感させられる。インディゴブルーの深い青は沖縄の珊瑚礁の海のイメージから乖離している。孤独につまされるような絶海に、当時人頭税の重税に喘ぐ人々の嘆きを見るようである。小さな波照間島には川がなく、常に水不足で農業に向かない島だ。

最近、パイパティローマの研究で興味深い説が出てきた。パイパティローマは台湾島の東の小島の蘭嶼島(らんしょとう)ではないかというものだ。地理的に波照間島の南西にあり、逸話とほぼ一致する。ある時期の海流が波照間島から蘭嶼島へと流れるという。

蘭嶼島は台湾にありながらフィリピン系のタオ族の島であり、長く独自の文化を維持してきた。そして悲しいことに台湾本島から差別と迫害を受けてもいる。

タオ族は太陽信仰を持つ民族で、西の果てには神々の住む島があるといわれている。当時遭難した波照間島の漁師は、彼らにとって来訪神だったのかもしれない。

私はそんな蘭嶼島にいつか行ってみたい。彼らはむかしながらの伝統と文化を守り、暮らしているという。私はそこで王朝時代に同胞をもてなしてくれた優しさに触れてみたいと思うのである。タオ族は決して豊かとは言えない。だが痛みを知るが故に優しい。

絶海の孤島にある二つの島は、深い悲しみを背負わされた故に、弱者への慈愛を育んできた。そしてお互いのことをこの世にはない『楽園』と呼んだのである。


イラスト:サカモトセイジ

いけがみえいいち●小説家。1970年生まれ。沖縄県石垣島出身。
1994年に『バガージマヌパナス』(新潮社)で第6回ファンタジーノーベル大賞を受賞。
1996年『風車祭』で直木賞候補に。沖縄の伝承と現代を融合させた、圧倒的なスケールのエンタメ作品を次々と発表している。
著書に『レキオス』『シャングリラ』『テンペスト』『黙示録』などがある。

(ノジュール2017年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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