[エッセイ]旅の記憶 vol.52

なぜヨットクルーズ?

鈴木光司

四年前の夏、妻とふたりの娘たち(社会人と大学生)を連れてタヒチに飛び、ヨットを一週間借りてボラボラ島まで航海した。うちの一家は、ヨット好きのぼくの影響を受けて、全員が小型船舶一級免許を保持し、家族のみでの操船が可能である。

宵闇の中、ボラボラ島の美しい湾に船を停泊させ、酒を飲んでいたところ、豪華ホテルと見紛うばかりの客船が入港して、すぐ近くに錨をおろしていった。静かだった湾がパッと華やぐのを見て、娘たちは喚声を上げた。

豪華客船の船旅も優雅であるが、大きな欠点がある。すぐ近くに島があっても、大型船が着岸できる港がなければ、容易に上陸ができない点である。

案の定、客船の乗客たちは、デッキに立って美しい島の風景を眺めただけで、陸に下り立つことなく翌日には出港して去っていった。

少人数のヨットクルーズの魅力は、行きたい場所を自分で決められるところにある。

航行中に島影を発見し、望遠鏡を覗いて無人島とわかれば、ぼくは即座に上陸作戦を敢行する。静かな入り江に船を入れてアンカリングし、小型ボートをおろして島のビーチを目指すのだ。

西日本から沖縄、台湾の沿岸をはじめ、地中海、南太平洋、アンダマン海と、これまでに上陸した無人島の数は、優に二十を越える。

自由度が高く、冒険心が刺激される小型ヨットでのクルーズには、さらに大きな利点がある。

狭いスペースを機能的に使って、ヨット内には、ベッドルーム、キッチン、トイレ、シャワールームと、生活の基本空間が確保されている。おまけに推進の主動力は風であり、基本はタダ。これほどエコな乗り物はない。四十フィート程度のヨットを一週間借りると、費用は約四十万円。六人(3カップル)で借りて自炊すれば、ひとりが負担する額は約7万円ということになる。一週間に及ぶホテル代、食費、海上交通費など、すべて含めた上での七万円だ。

ヨットなんて乗ったことがないし、第一操船ができないという方は、船長をひとり雇えばいい。一週間で約十五万円の費用が、ヨットのレンタル料にプラスされる。

地中海でヨットをチャーターするのはセレブだけの特権で、自分たちとは無縁の世界……、と思われていた方は、ぜひ目から鱗を落としてほしい。ホテルを泊まり歩く旅行と、キャンピングカーの旅の費用を比べるまでもないだろう。

なぜヨットクルーズをするのか……、答えは簡単、もっとも、安上がりだからである。


イラスト:サカモトセイジ

すずき こうじ●作家、エッセイスト。
1957年静岡県浜松市生まれ。
90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し作家デビュー。
91年の『リング』、95年の続編『らせん』(吉川英治文学新人賞)は、その後映像化され、ホラー映画の金字塔となった。
リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』『野人力オヤジが娘に伝える「生きる原理」(鈴木美里との共著)』など著書多数。

(ノジュール2017年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら