[エッセイ]旅の記憶 vol.58

七ツ釜

牧野伊三夫

たしか高校三年生の夏のことだった。日曜日の朝、目覚めてそのままボンヤリと布団の上で天井を眺めていて、ふと「旅に出よう」と思い立ち、カバンひとつ持って、行先も決めずに家を出た。それまで家族で旅行に行くことはあったが、一人で旅をするのははじめてのことだった。どこか遠い場所まで行って、夕食になったら帰ってくるつもりだった。

本屋で時刻表とガイドブックを買い、佐賀県唐津の七ツ釜(ななつがま)へ行くことに決めると、福岡県の小倉駅から西へ向かう電車に乗った。七ツ釜というのは、玄界灘(げんかいなだ)の荒波で海岸の岩が侵食されてできた景勝地だ。海岸に七つの大きな洞窟がある。ガイドブックで海岸に浮かぶ遊覧船の写真を見て決めたのだが、それ以外にここへ行く理由はなかった。小倉から博多を経由して唐津まで行き、路線バスで山を越えると七ツ釜の海岸に着いた。そこにはいかにも観光名所らしい看板があり、遊覧船の乗船券を売っていた。

二〇人乗りくらいの小さな船で、僕以外はお年寄りばかりだった。船が打ち寄せる波をうまくかわして神秘的な雰囲気の洞窟へ入っていくと、みんなで一斉に歓喜の声を上げていた。僕も船底のガラス窓からエメラルドグリーンに光る海をのぞくと旅の気分が高まったが、一方で自分はなぜこんなところへやって来てしまったのだろうかと少し冷静に考えてもいた。

遊覧船を降りたあと、土産物屋をのぞき、食堂へ行った。コカ・コーラを飲み、チャンポンを食べたかもしれない。そのあと、おすすめだという散策コースを歩いていると、陽が傾き、帰りのバスがなくなってしまった。暗くなった海岸に取り残されてしまいそうになったが、そのとき僕は、ふとヒッチハイクをやってみようと思い立った。のんきなものであるが、道端でたまにしかやってこない車を待って手を振ってみた。しかし、止まってくれる車はなかった。きっと、気味が悪かったのだろう。車がヘッドライトを点けて走ってくるようになるとさすがに焦ってきたが、そのうちにようやく一台のダンプカーが止まってくれた。「どうしたんですか。」

若くて優しい感じの運転手だった。僕は安堵して、この見知らぬ運転手とずい分いろいろな話をした。思えばこの旅が、行きあたりばったりの旅をするはじまりであったように思う。


イラスト:サカモトセイジ

まきの いさお●1964年福岡県生まれ。画家。
広告制作会社サン・アド退社後、画廊での定期的な個展開催や、書籍・雑誌・広告の装丁や挿絵を数多く手掛ける。
「雲のうえ」(北九州市情報誌)・「飛騨」(飛騨産業広報誌)の編集委員も務める。近著に『僕は、太陽をのむ』(港の人)、『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)。

(ノジュール2017年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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