[エッセイ]旅の記憶 vol.63

“ビータ”の醍醐味、食堂車

なぎら 健壱

我々は地方の仕事に行くことを、旅、ツアー、地方回り、ドサ回りと様々な言い方をする。演奏旅行なる言葉もあるが、旅行というとなんとなく行楽的なイメージが付きまとうのか、仲間内ではあまり使われることはなかった。確かに旅行より、旅という言い回しの方がなんとなくしっくりくる。よく使ったのが、旅を業界用語である倒語で〝ビータ〞と呼ぶことではなかっただろうか。

まあビータはともかくとして、地方への列車移動は、今よりもっとゆったり感があった。旅というか、そこに「地方に行くんだ」という旅情のようなものがあった。

3、4時間列車に揺られることなどはざらで、その倍ぐらいの時間がかかることも珍しいことではなかった。その間、今のようにPCやオーディオプレイヤーがあるわけでもなく、寝ているか、読書をしていることが多かった。あるいはカードゲームなどをして時間をやり過ごしていただろうか。

食堂車に居座り、酒を飲んでいるなどという人間もいた。あたしも居座って、というほどではなかったがーーいや、あったかなーー食堂車をよく利用した。食堂車というのは、「地方に行くんだ」という気持ちを顕著に感じさせてくれた。

仲間とビールグラスを傾けながら話に花を咲かせる、そんな時間の中に身を置くことが味わいでもあった。見知らぬ人と相席になり、遠慮していたおしゃべりがいずれどこかでかみ合い、やがて旧知の仲のように会話を交わし、「またどこかでお会いしましょう」と笑顔で別れる。多分、また会うことはないだろうが……。

ツマミもお座なりの物から、路線によってはその地方の食材で作ったメニューなどがあり、それを口にするのも楽しみのひとつであった。「おやっ、ホタテフライがありますよ。ならばそれを注文しましょうか」と、それをツマミにビールをさらにあおる。

やがて列車の揺れに任せて酔いが回ってくると、座席に戻って居眠りをする。これが旅の醍醐味でもあった。

旅、そう、そこに旅があった。今は列車に乗ると、ある地点から目的地までの移動手段だけになってしまったような気がしてならない。便利になってしまったぶん、何かを失ってしまったような気持ちにさせられてしまうのである。

食堂車か、もう一度あの時間を過ごしたいのだが、無理な注文なのだろうか……。


イラスト:サカモトセイジ

1952年生まれ。シンガーソングライター、タレント。
東京銀座に生まれ、下町で育つ。ライブ活動のほか、カメラ、散歩、落語、酒など多趣味且つ独特のキャラクターで、テレビやラジオ出演、執筆活動など幅広く行う。
下町をテーマにした著書や写真集が多い。著書に『酒場のたわごと』『東京路地裏暮景色』など。

(ノジュール2018年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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