[エッセイ]旅の記憶 vol.64

旅が与えてくれたもの

諸田 玲子

子供の頃の私は人見知りで臆病者、バス旅行でさえ苦手というヘタレで、ヒマさえあれば本ばかり読んでいた。多少はマシになったとはいえ二十歳を過ぎても飛行機には乗れず、一人旅などもってのほか、旅への憧れも皆無だった。そんな私が旅に目ざめ、その後の10年ほどで50回近くも海外旅行へ出かける劇的な変貌を遂げたのは、あろうことか、旅好きな男に惚れてしまったためである。恋の力は絶大だった。

ただし、彼には計画性がなく、私は方向音痴の上に何事にも大雑把という問題があった。詰めの甘い私たちはどれだけ奇天烈な旅をしたことか。まだビザの必要な国が多かった当時、ウイーンからベルリンへ向かう列車がチェコを過ぎたとたん数人の兵に銃を突きつけられて下ろされ、ジプシーと一緒に強制送還されたこともあったし、チャウシェスク時代のルーマニアでは目の前で手品のように大金を騙し取られたこともあった。パリの蚤(のみ)の市とローマのコンドッティ広場でひったくりにあったし、日時をまちがえて夜行列車に飛び乗って通路で寝る羽目になったり、帰りのチケットをうっかり捨ててしまって飛行機に乗れなかったり。極め付きは私が足をすべらせてベネチアの運河へ落ちたことだ。橋の上から観光客が笑って眺めるなか、ゴンドラに助けられはしたものの、流れて消えてゆくカメラや土産をなすすべもなく見送っていたみじめさも、今になれば笑える。あのころはテロの脅威が喧伝される前で、思えば長閑な時代だった。

観光地より雑多な人々の顔やなにげない町の景色ばかりが記憶に残る旅にもかかわらず、ごった煮のような見聞は小説を書く上での宝物になった。たとえば平安朝の都の喧噪を書くときに、ふっとモロッコのジャマ・エル・フナ広場を思い出す……というように。

先日、友人が「旅の気分が現実以上に味わえるアプリがある」と話していた。AIにもSNSにも疎い私にはよくわからないけれど、本当かしら。旅の醍醐味は、想定外の出会いや予期せぬ回り道、無駄なればこその豊かな時間にあるような気がする。

歴史・時代小説を書いている今は、国内の取材旅行が専(もっぱ)らである。小説の舞台には必ず足を運ぶことにしている。歴史上の建造物を眺めたり史料の説明を受けるためではない。ただその場に立って、五感を研ぎ澄ませ、周囲の山々の佇まいや川の音、風の匂い、そしてなにより、その場所に生きていたはずの古の人々の声に耳を傾けるためだ。旅が与えてくれるものは、目に見えるものだけではない。


イラスト:サカモトセイジ

諸田 玲子 <Reiko Morota>
1954年静岡県生まれ。作家。
時代・歴史小説を多く手がけ、1996年『眩惑』でデビュー。
2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、07年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞。
12年『四十八人目の忠臣』で歴史時代小説作品賞を受賞、16年にはNHK土曜時代劇にてテレビドラマ化。