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[エッセイ]旅の記憶 vol.74

シチリアに降る雪

森岡 弘

男性ファッション誌の編集をしていた頃、ショーの視察やロケで1年に4回は海外へ出張していた。パリやミラノでの取材はいつも発見と刺激に満ちて、記憶に深く刻まれるものばかりだったが、とりわけ印象に残っているのがイタリア、シチリア島での撮影だった。

翌年の春夏のファッション撮影のため、12月に暖かい場所でロケしようというのがシチリアを選んだ理由だったが、なるほど地図で見るとアフリカのすぐ上。エキゾチックな町のイメージも勝手に想像して、ページの仕上がりはもう約束されたと思い込んでいた。ただ30年も前だから、インターネットなど普及する以前のこと。同行のカメラマンやスタイリストも初めて訪れるシチリアについて、知っているのは映画「グラン・ブルー」くらいで事前情報はほとんどない。私に至っては、シチリア島とシシリー島が同じ島だと初めて知ったという始末。海外ロケの担当編集者がその調子とは今の時代なら許されないだろうが、当時はやはり牧歌的だった。一行はミラノでモデルのオーディションをして、意気揚々とシチリア、タオルミーナに乗り込んだ。

今でこそ日本人旅行者が多く訪れる一大観光地だが、当時はまだ田舎の匂いが残る“いい感じ”のリゾート地。2日間のロケハンを終えて準備は万全と思った頃、周りがなにやらざわつき始めた。この後、雪が降るかもしれないというのだ。よく外れると評判の天気予報もこのときは見事的中。ロケ前夜から降り積もった雪は、クリスマス前もあり子どもだけでなく地元の大人もたいそう喜ばせた。50ページ分の写真を撮るのがミッションのロケ隊の重要な任務は、このとき除雪作業に取って代わった。

雪が止んで日差しが戻った町の片隅で、雪かきをしながら汗だくになっていたとき、ふと顔を上げるとエトナ山が視界に入った。雪をかぶったヨーロッパ最大の活火山の姿はとても優美で、なにか手に届きそうなくらい身近に見えた。聞けばクルマでゆうに3時間はかかるらしい。都会とは違う距離感にシチリア島の雄大さを知らされたのと同時に、雪のキャンバスにそびえるエトナ山の貴重な絵柄に出合えたことを感謝する瞬間でもあった。

汗と涙の結晶の撮影は終了し、ロケ隊は帰途についた。誌面に雪は出せなかったが、全員の記憶のひだには深く刻み込まれた。きっとシチリアにもそれなりに雪は降るのだろう。情報がないせいで、思わぬ出合いがシチリアの雄大さと美しさを教えてくれた。もう一度訪れてみたいが、思い出の永久保存を望む気持ちも強く、甘美な葛藤は今も続いている。


イラスト:サカモトセイジ

森岡 弘〈もりおか ひろし〉
1958年大阪府生まれ。ファッションディレクター。
芸能人、スポーツ選手、政治家などのスタイリングを行う一方、広告ビジュアルやカタログ制作のファッションディレクションを手がける。
『男のお洒落の方程式』(講談社)ほか、著書多数。

(ノジュール2019年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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