[エッセイ]旅の記憶 vol.24

若い時のひとり旅は楽しい

西村 京太郎

通の人間にとって、ひとり旅のチャンスは意外に少ない。恋人が出来れば二人旅になってしまうし、結婚して子供が出来れば三人旅、会社勤めになればグループ旅行が主になってしまうからである。だから、恋人がいなかったり親友が出来なかったりしたら、それこそ、ひとり旅のチャンスなのである。私は、二十才前後にやたらに鉄道を使ったひとり旅をした。その一つを紹介したい。

二十才になったばかりの時だったと思う。青森発上野行きの夜行列車で東京に帰ることになった。貧乏だったので最低の夜行にした。その頃は、三段式の寝台車両と、座席車両が連結された夜行があって、その時、私が乗ったのは、座席車で、ボックス式だった。私が乗った時は、空いていたので、二席分占領して寝転んでいたら、発車間際に、二人の乗客があって、前の座席が埋まった。一人は十七、八才の若い娘で、どう見ても、東京に働きに行くという感じである。もう一人は、背広姿の五十才ぐらいの男で、大きなトランクを下げていた。今ほど通販が盛んではなかったから、寅さんみたいに、トランクに品物を詰め込んで、地方を売り歩くセールスマンが何人もいたのである。くたびれた背広で、冴えない男だなと思っていたら、列車が動き出したとたんに、隣りの娘を口説き始めたのである。「私の家内は、冷たい女で、私が日本全国を歩いて、一生懸命稼いでいるのに、優しくしてくれたことがない。高価な自分のハンドバッグなんかをさっさと買うのに、夫のものは、考えてもくれない」

私は、ずいぶん古典的な口説き方だなと思ったのは、テレビドラマなどで、よく見るストーリイと同じだったからである。これは、失敗するなと思ったから眠ってしまったのだが、何時間かして、眼を覚ますと、男が、まだ口説いているのだ。今度は上衣を脱ぎ、ワイシャツ姿になり、ボタンの一つが外れかけているのを見せ、「私が旅に出る時は、針と糸を用意する。家内が気付いてくれないから」と、また泣き落としである。娘の方は明らかに、生返事だから、少なからず男に同情したのだが、終点の上野に着いた時にあっけにとられてしまった。娘と中年男が、手をつないで、改札口に向かって歩いて行ったからである。

二十才の私は、その娘の将来が、心配になると同時に「下手な口説き方でも、一生懸命にやれば成功することがある」という教訓も手に入れた。だからというわけではないが、若い時には、ひとり旅がいろいろあって楽しいと、皆さんに、すすめたいのである


写真:大川裕弘

にしむらきょうたろう●1930年東京生まれ。推理作家。65年『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞を、81年『終着駅殺人事件』で日本推理作家協会賞を、2005年に日本ミステリー文学大賞を受賞。これまでの著書は500冊を超える。近著に『郷里松島への長き旅路』(KADOKAWA)、『十津川警部 南風の中で眠れ』(小学館)など。「十津川警部シリーズ」をはじめとする日本のトラベルミステリーにおける第一人者。

(ノジュール2014年12月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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