[エッセイ]旅の記憶 vol.25

日本の祭りを訪ねて

柴門 ふみ

十年ほど前に雑誌の連載企画で、日本中の祭りをまわった。それ以前から私は仏像に興味を持ち、その延長線上で日本の古いものに心惹かれるようになっていたのだ。

こうして始まった私の「祭り旅」の第一回目は、岩手県奥州黒石寺(こくせきじ)の裸祭りだった。なぜそこを選んだかというと、仏像を見るため訪ねたその寺に「炎と男の裸祭り」というポスターが貼られていたからだ。「これは、いったい何なんだ?」強い好奇心からその翌年、毎年旧正月に行われるという『黒石寺蘇民祭』を訪ねたのだった。

厳冬の東北。現地に着いて私は度胆を抜かれた。雪に覆われた山から褌一つの裸男がわさわさ降りてくるではないか。その数二〜三百名。中には褌すらつけずスッポンポンの男性も。彼らは手に松明を持ち、そのまま川の中に飛び込んだ。それを、ダウンコートにくるまった見物客がニコニコと見ている。若い女性もいる。裸男たちは水から上がると、次に炎燃え盛るヤグラの上によじ登り、気勢をあげ始めた。驚くことに、時間が経つにつれ褌がほどけスッポンポン率が高くなった。しかし、立ち会う警察官がそれを制することは一切なかった。近代化、文明国家という言葉など、そこではただ空々しいだけだった。

「これが日本の祭りか、…」

クリスマスやハロウィンなんて、比較にもならない。日常から逸脱し眠っていた本能を揺さぶる、それこそが祭りの定義ではないか。この祭りをきっかけに私はそう考えるようになった。

それ以降2年余り、私は日本中の祭りを追いかけた。青森のねぶた、岸和田のだんじり、徳島の阿波踊り・・・。各地を回り、エネルギーがぶつかり合ってこそが祭りだという思いを強くした。

そして私にとって、黒石寺の裸祭りと双璧なのが、『諏訪御柱(すわおんばしら)』である。山から切り出した神木を社殿まで運ぶ大祭なのだが、山の急斜面を一気に滑り降りる「木落とし」では、死者も出る。じつに荒っぽい祭りなのだ。男衆たちが数十名またがった巨大な樅の大木が、山頂から滑り出す。しかし木は坂の途中で回転し、逃げ遅れると下敷きになってしまうのだ。そんな危険な祭りだが、立ち会う警官もただ見守るだけなのである。

都市に住むとあらゆる規制が敷かれ、危険物は徹底的に除去される。そんな暮らしはむしろ生物として「危険」なのではないか。日本の祭りを知ることにより、私はそんな風に考えるようになった。


写真:大川裕弘

さいもん ふみ●1957年徳島県生まれ。漫画家、エッセイスト。夫・弘兼憲史氏のアシスタントを経て漫画家デビュー。代表作に『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』など。最新作『同窓生 人は、三度、恋をする』はTBS系でドラマ化(DVDが2月発売予定)。2012年から出身地の徳島市観光大使を務める。

(ノジュール2014年1月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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