[エッセイ]旅の記憶 vol.29
ふりかえる
吉本 ばなな
その年、両親がほぼいっぺんに死んでしまってただびっくりしていた。
自分ではかなり元気になってきたと思っていた真冬のある夜、私は親しい友人母子と夕食を食べた。若々しいお母さんと友だちみたいな感じで話す娘。私は自分の母とそんなに仲良くなかったので、いっしょに晩ご飯を食べに出かけたりしなかったからなにも関係ないはず。
なのにその夜に限って、まだ親に会えるという状況がとてもうらやましく思えた。妬ましかったわけではない。ただ、実家に行けば親に会えた頃に戻りたいなと思った。ついこの間までそうだった。寝込んでいようとボケていようと、この空の下に親が生きている、そう思えるだけでよかった。
そんな気持ちで眠りについた私は夜中に急性胃腸炎になり、戻すわ下痢するわ高熱が出るわで、一晩中眠れなかった。
しかし私は仕事でライブを観るために、翌日家族で韓国に行くことになっていた。
空港のロビーでは長椅子に横たわり、飛行機の中で寝込み、ホテルについたものの水さえ飲めず悲惨だったが、翌朝はずいぶん回復し、朝ご飯に熱いスープを飲んだらやっと元気がわいてきた。
ソウルの冬はとても寒くて耳が痛くなるほどだ。靴の底から冷たさが上がってくる。でも空気が澄んでいて活気があり、昭和の日本の感じに似ていた。私が子どもの頃、まだ両親がいなくなることなんて想像さえできなかった、両親たちもちょうど今の私くらいの年齢で、自分は死にっこないと思っていただろう頃に。
あの頃味わった経済の成長期の町の動きを、私は確かにソウルで感じることができた。財閥や土地持ちには一生なれなくても、がんばればお金持ちになれるかもしれない、まだそういう夢が生きている町特有の営みの生き生きした響きだった。
その日は日曜日で、家族でただ出かける人たちがたくさんいるところも、昔の日本によく似ていた。ちょっと買い物をして外食をして、それだけですごく贅沢で楽しいという浮き立つような感じが漂っていた。
よれよれの私を思いやる夫はとても優しかった。子どもも妙にいい子で心配などしてくれていた。ああそうか、私は新しい家族を作ったんだった、と突然にはっとした。今夜私たちはライブに行きいい音楽をみんなで聞いて、食事をしに行くだろう。その温かさと心強さ。私の人生はまだ終わってはいない、と久しぶりに思えた。今となっては悲しみよりその気持ちのほうを幸せに思い出すようになった。
写真:大川裕弘
よしもと ばなな●1964年東京生まれ。小説家。日本大学藝術学部文芸学科卒業後、
1987年『キッチン』(海燕新人文学賞)でデビュー。代表作は、『ムーンライト・シャドウ』(泉鏡花文学賞)、
『TUGUMI』(山本周五郎賞)、『アムリタ』(紫式部文学賞)、『不倫と南米』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)など。
海外でも高く評価され、イタリアのスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞、カプリ賞などを受賞。
近著に『サーカスナイト』。『白河夜船』は映画化(若木信吾監督)され現在公開中。