いつか泊まってみたい懐かし宿 第93回
柳川藩主立花邸
御花
歴代藩主が丹精込めた名勝のただ中に泊まる高揚感
敷地全てが国指定の名勝
佐賀空港から乗ったリムジンタクシーは、筑紫平野をひた走り30分足らずで、かつて柳川藩主立花氏の別邸があった「御花(おはな)」の前に止まった。空港からタクシーで直接宿に乗りつけるのは、なかなかいい気分だ。これで運賃が1000円はありがたい。
洋風の堂々とした石造りの正門の向こうには、白亜の2階建て洋館が佇んでいた。その奥の大広間や名園松濤(しょうとう)園、立花家史料館なども含め、御花の敷地全てが立花氏庭園として国指定名勝となっている。名勝の中に泊まれると思うだけで、心が高揚する。
宿のロビーは広々としていて、立派な壺や仙台伊達家ご用絵師が描いた大黒様の掛け軸などがさりげなく飾ってあった。案内された部屋は、広々したツインルーム。冷蔵庫の中には、ビール2缶、ジュースとコーラが1缶ずつ入っていて、いずれも無料だという。嬉しいサービスだ。
部屋のバルコニーからの眺めがすばらしい。すぐ下には松濤園と東庭園が広がり、彼方には雲仙普賢岳や太良(たら)岳が望まれる。柔らかな風に吹かれながらお茶と風景を楽しんでから、フロントで入浴券を受け取り、下駄と懐中電灯を借りて、隣接する柳川温泉へ。
浴場の場所を確認すると、1階には露天風呂とサウナ、5階には大浴場があるという。夕食時間も迫っていたので、1階に絞ることにした。お湯は美人の湯系の滑らかなお湯で、もっとゆっくり浸かりたいほど気持ちいい。
宿の部屋に戻ってから、食事場所の集景(しゅうけい)亭へ。最初はスパークリングワイン、その後地酒の4種類セット「筑後四戦」を頼んだ。選ばれてきた酒は目野酒造、喜多屋、杜の蔵の純米酒、若波(わかなみ)酒造の純米吟醸。セットには、自家製の辛子明太子、松前漬け、イカの塩辛がついていておトク感たっぷり。係の人もあまり押しつけがましくもなく素っ気ないこともなく、距離感がちょうどよい。そんなことが嬉しい。
最初に並んだ料理は、自家製の甘酒と数の子漬け、5点盛りは菱餅、結び熨斗(のし)梅、わらび、菜の花、カリフラワーのピクルス。続いて、お造り、風呂吹き大根。サケの西京焼き、出汁巻き卵、ハマグリの貝殻に入った凍みこんにゃくとワケギのぬた。アサリのスープ仕立ては薄味だが、貝のうまみが出て濃厚な味わい。そして、鮭の混ぜご飯にイクラと錦糸卵を散らした〆。デザートは、草餅と八女(やめ)茶で、満足。
庭を味わい建築に酔い
翌日朝食前に、フロントで川下りの予約をした。朝一番の船は、8時50分にフロントに迎えが来る。船代の精算は、宿代と一括でいいという。朝食も集景亭だった。ウミタケの粕漬け、出汁巻き卵、辛子明太子の3点盛り、筑前煮、鍋仕立てのとろりとした炭酸豆腐、有明海の大判焼きのり、ほか数品と、充実した朝食だった。
行き交う船も少ない朝一番の川下りを楽しんで、終点の御花へ帰ってくると、10時をまわっていた。チェックアウトしてフロントに荷物を預けてから、洋館を見学した。明治43年に立花家の迎賓館として建てられた鹿鳴館様式の流れをくむ建物で、要人たちを迎えて園遊会が催されたという。
洋館の2階を見学して1階へ戻り、大広間へ向かう。当時富裕層の間で流行った「西洋館の正面玄関に続く日本建築の大広間」という形式をそのまま残している。さらに、松濤園に面した100畳の大広間は、畳を取り除くと能舞台として使えるという。
小島がたくさん浮かび見る角度によって微妙に表情を変える松濤園を、大広間の縁側からじっくり味わい、庭に降りて池畔にしばし佇んでから、柳川藩初代藩主立花宗茂(むねしげ)が着用した甲冑をはじめ、藩主夫人の婚礼調度、装束、茶道具などを展示した立花家史料館へ。江戸時代から伝わる精緻な雛人形と調度は日本文化の珠玉というべき完成度で、見つめているうちに心地よい別世界に誘われてしまった。
さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』