[エッセイ]旅の記憶 vol.32

引率者の交代

三浦 しをん

学生時代は友だちと旅行することが多かったが、最近は仕事相手と、あるいは一人で、旅をするようになった。そしてもうひとつ多くなったパターンが、母親との旅である。

「温泉で一泊したいなあ」と、平日に急に思い立っても、友だちは会社で働いたり子育て中だったりして、忙しい。必然的に、遠慮なく声をかけられるのは、近所に住んでいて暇そうな母だけになる。

しかし、母と出かけるのは大変だ。「朝九時に出発するよ」とあらかじめ言っておき、当日に家まで迎えにいくのだが、母はまだ洗い物をしたり洗濯物を干したりしている。なぜ、もっと早くにすませておかんのか。だいたい、たった一泊の旅行なのに、律義に洗濯をしてから出かける必要があるのか。と、やきもきしていると、母は机に向かって置き手紙を書きだす。

「旅に出ます。洗濯物は畳んでそれぞれの箪笥にしまうように。冷蔵庫のなかに煮物と干物があるので、夕飯はそれを温めたり焼いたりして(以下略)」。どうやら、家に残される私の父へ宛てたもののようだが、父だって大人なんだから、そんなに長々と指示しなくたって、自分の判断でなんとかするだろう。あと、長大な置き手紙は前夜のうちに書いておいてほしい。

こんな調子でなんとか出発し、予定した電車に乗りこむ。母は鞄(一泊なのに、やけにでかい)からタッパーを取りだし、切ったリンゴとかを勧めてくる。ありがたいけれど、すぐに目的地に着くし、着いたら昼食を摂ろうと言ってるのに……。旅先ではただでさえいろいろ食べてしまうものだが、さらに車中でも間食するせいで、いつも太って帰宅するはめになる。

だが、ふと思うのだ。子どものころ、家族旅行をしたときも、母はこんな感じだったなあと。出発直前までこまごまと家事をし、鞄にひそませた甘栗やらリンゴやらを勧めてきまくり、きわめてマイペースに行動していたなあと。旅行中にしょっちゅう親子喧嘩が勃発する点も、いまと変わらない。

あのころは、子どもも無理なく楽しめるよう、両親が旅の計画を立ててくれていた。一周まわって、再び母と旅行するようになり、今度は私が引率者の立場である。母のマイペースぶりにいらいらすることも多いが、それが家族との旅行のさだめだと観念し、少しでも楽しい時間を過ごせるように計画を練る。私が子どものころ、両親もきっとこういう気持ちだったんだろうなと想像しながら。


写真:大川裕弘

みうら しをん●1976年東京都生まれ。小説家。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、2012年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。
『風が強く吹いている』『神去なあなあ日常』など映画化された作品も多く、「まほろ駅前」シリーズは映画、ドラマ、漫画にもなった。
『本屋さんで待ちあわせ』ほかエッセイ集も多数。近著に『あの家に暮らす四人の女』。

(ノジュール2015年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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