いつか泊まってみたい懐かし宿 第97回
福島県下郷町
本家扇屋
山間の宿場町で時を重ねてきた
白壁の蔵と茅葺き屋根の宿
四季美しく彩られる山間の宿場町
湯野上(ゆのかみ)温泉駅から大内宿(おおうちじゅく)まで、猿游(さるゆう)号バスで20分弱だった。クルマは、大内宿の中には入れない。重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建)になっている町並み裏の停留所で下車し、家と家の間を抜けて表通りに出た。北に向かってごく緩やかな上りで、そちらへ1、2分歩くと、唯一通りに面した蔵が立っていた。白壁には、本家扇屋の文字が浮かんでいる。
蔵と土産物店の間を入って行くと、茅葺きの建物にも本家扇屋の看板がかかっていた。声を掛けると、土産物店から笑顔のオバちゃんが顔を見せた。中に入って、太く立派な柱に圧倒された。手斧(ちょうな)で削(はつ)った痕が時代を感じさせると思ったら、江戸時代の建築で築300年以上になるという。耐震化工事など一部改修しているが、基本的な骨組みは変わっていない。右手は増築した部分で、トイレや風呂があり、水回りはきれいに整えられていた。
蔵の方へ進むと、囲炉裏があるよく磨きこまれた板の間だった。そこが朝夕の食事場所だという。大きな神棚があり、ほかに大内宿関連の写真もたくさん飾られている。一番美しい季節は、周辺の山々が紅葉する10月。最盛期は全山が燃えるようになる。夏も日中はともかく朝晩はとても涼しいので、避暑を兼ねてやってくる人も多い。もちろん新緑の季節も、雪に覆われる時期もいいという。
その先の蔵との通路になっている畳の間に、仏壇があった。蔵に入ると1階と2階にそれぞれ2室あり、2階へ案内された。民宿をするために客間に改造したのかと聞くと、本家筋で元々お客が多く、蔵の内部には100年以上前から客間がいくつもあったという。
床の間のついた8畳の和室で、畳んだ蒲団が積んである。古民家を利用した宿は収納スペースが少ないので、よくある光景だ。通りに面して狭い廊下があり、蔵の鉄格子越しに町並みが見える。通り沿いに2階建ての建物はほとんどないから、この宿ならではの貴重な眺めだ。通りを行く人と目が合うと、一瞬不思議そうな表情をした。
囲炉裏端でいただく地物のご馳走
冷たいお茶をいただきひと息ついて、町並みを散策した。1981年、重伝建地区に選定されて30年以上経つ茅葺きの家々は、大半が土産物店でそば屋を兼業しているところも多い。町並みよりもそちらに目が行ってしまうが、年間100万を数える観光客に対応するには仕方ないだろう。
明治初期、外国人として初めてこの地を旅したイザベラ・バードは『日本奥地紀行』で「この村は周りを山々で美しく囲まれた谷間にあった」と記している。山村の貧しさや不衛生さを繰り返し嘆いているバードにしては、珍しい好意的な記述だ。当時バードが泊まった「名主阿部家」(本陣ではない)の建物も、見学できるよう開放されていた
それでも、5時を過ぎて観光客が消え店じまいすると、江戸時代もこんなだったのではという静寂に包まれた。通りの両脇に設けられた水路から澄んだせせらぎが立ち昇る。突き当たりを登った子安観音付近から眺める大内宿の全景は、一幅の絵画のようだった。
宿に戻ると串刺しのイワナが、囲炉裏の炭火に炙られ香ばしい匂いを漂わせていた。6時半頃板の間に降りると、思いがけないご馳走が並んでいた。
イワナの炭火焼き、サトイモ、ニンジン、豆腐、シイタケ、豆麩などを小さく切って煮た会津の郷土料理こづゆ、タケノコ入り肉団子の餡かけ、上等な赤身の馬刺し、そば米のナメコ餡かけ、そうめんカボチャの酢の物、ワラビのショウガ風味漬け、ユウガオの煮物、茶碗蒸し、キュウリの漬物。
この料金で、こんなに並べてくれるなんて。どれも地元食材中心の手をかけた料理ばかり。さらに、揚げたてのしそ巻とゆでたてのもりそばまでやってきた。困ったことに、みんな口に合う。何とか食べ終えたが、艶やかなご飯にまでは手が伸びなかった…。
さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。
近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』