[エッセイ]旅の記憶 vol.38
時の軌跡を辿る場所が豊かさを熟成する
真山 仁
茹(う)だるように暑い日だった。どうしても見て欲しい場所があると、シンガポール在住の日本人に案内されたのは、瀟洒な邸宅街の中にある墓地公園だった。
明治24年(1891)、約一万坪が日本人共同墓地と認められ現在に至っている。
単身海を渡り、財を成した者、夢破れて異国の地で果てた者、さらには墓石もない「からゆきさん」たちの墓も多数ある。
経済大国シンガポールのきらびやかな街のエアポケットのように、墓地はひっそりとある。訪れた時も、園内を歩くのは私達だけだった。
じりじりと首筋を焼く日差しを浴びながら、いくつもの墓の前で手を合わせた。
南国の樹木がつくる日陰で一息ついた時、不意に探しものを見つけた気がした。
〝過去と未来を繋ぐ軌跡〞だ。
人とカネが集まり、ファッショナブルで自信に満ちた都市国家は、国全体がテーマパークのようだ。テーマは、「一瞬を輝いて生きる」に違いない。
だが、時間が止まってしまったような日本人墓地公園は、そういう激しい変化のうねりから取り残されてしまっている。長い年月を経ても何も変わらず、訪れる人を迎える。そして、淡々と流れる時を刻む。
テーマパークのような国というのは、必ずしも褒め言葉ではない。私には、何かを必死で隠そうとするコンプレックスを感じる。
街行く人を見ると、無理をし過ぎず着実な歩みを考えてみてはと思わず言いたくなる。
それは、シンガポールが追随してきた日本の戦後史を分析すれば自明だろう。
しかし、やることなすことが成功を収め、人の気持ちも歴史も自国のアイデンティティにも目もくれず突っ走っている時には、そんなものはなかなか見えない。
だから、時に日本人墓地公園のような場所が必要なのだ。
近年シンガポールの若者たちの間で密かなブームとなっている街探索があるという。
先祖の墓を訪ね歩くツアーだ。
過去は振り返らず未来へと突き進んできたシンガポールは、墓地すら一定の時間を経ると取り壊して再開発するのが常識だ。だが、それではアイデンティティが失われると、若者が危機感を抱いている。
過去の出来事を知り理解してこそ、今という一瞬を輝いて生きられる。それを感じる場所を大切にする。それは、世界中の人に求められる姿勢でもある。
イラスト:サカモトセイジ
まやま じん●小説家。1962年大阪府生まれ。
新聞記者、フリーライターを経て、2004年に『ハゲタカ』でデビュー。
『ハゲタカ』『ハゲタカ2(「バイアウト」改題)』を原作としたNHK土曜ドラマが話題に。
作品の対象に徹底的に迫る取材力と、緻密な文体に定評がある。
近著に、『当確師』『ハゲタカ外伝スパイラル』など。
(ノジュール2016年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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