いつか泊まってみたい懐かし宿 リプライズ【特別編】②

1月号で100回を数えて終了した人気連載
「いつか泊まってみたい 懐かし宿」。
過去にご紹介した宿から特に注目度の高かったところへ、
筆者・斎藤潤さんが再訪します。
第2回の今月は、東北・岩手と青森へ。東日本大震災から5年を経て、
復旧と、さらなる前進に向けて奮闘するふたつの宿を訪ねました。

青森県八戸市

新むつ旅館

修復過程で新たな発見も再訪だったので、つい油断してしまった。小中(こなか)野の駅から歩き始めて15分以上たっても、宿は現れなかった。ガソリンスタンドで聞いてみたが、誰も知らない。元遊郭の宿があるのは、それだけ秘められた場所なのか。老舗の菓子店で聞くと、謎が解けた。宿は八戸線の南側と思い込んでいたのだが、実は北側だったのだ。そこから3分足らずで、宿を発見。歩き始めて30分以上が過ぎていた。

新むつ旅館は、幅10mはありそうな広い道に面していた。かつて、この両側に遊郭が軒を連ねていたという。色街なので、袋小路ならぬ袋大路に封印したのだ。東日本大震災で傷んだ外壁を全面的に補修し、屋根も直したようだ。縁起を担いだ軒先の鋸歯文(きょしもん)や輪違い文様など、細部に凝らされた意匠を、改めて観察してしまう。ひとしきり眺めてから玄関に入ると、女将の川村紅美子(くみこ)さんが迎えてくれた。

震災被害の補修も終わり、昨年5月にようやく営業を再開できた。基本的には自己資金だが、一部日本ナショナルトラストの文化遺産復興支援プロジェクトの交付金なども利用したという。

壁の修復にあたって、八戸工業大学の月舘敏栄(つきだてとしえい)教授が調査したところ、大きな発見があった。壁の中に耐震補強の筋違(すじか)いが入っていたのだ。日本で筋違いが普及するのは関東大震災以降で、明治32年(1899)建築の建物に使われているのは、全国的にも珍しいという。

地域の情報発信拠点に「お客がいない時に娼妓たちが、展示してある金精様(こんせいさま)に縄を結んで回廊などを引き回し、来客を祈願したそうです」

以前は公開していなかった、格子越しに客を引いた部屋上ミセの長押(なげし)には三味線掛けが仕込まれていた。床の間の孔雀壁(細かく砕いた黒耀石を壁土代りに使用)も、つい最近修復を終えたばかりだという。震災被害の補修だけではなく、着々と修復を進めている。宿泊した六番と七番の部屋の天井も、古色を塗った杉板で補修されていた。「でも、まだまだです。建物正面の傷みもひどいので修復の必要がありますが、2千万円くらいかかりそう。80歳になるまでにはなんとかしたいです」

76歳になるという紅美子さんが言った。最初から建物に愛着を感じていた訳ではないが、築100年を迎えるあたりから、いい形で残したいと思うようになってきた。震災の前年には、地域の人たちの支援も受けて老朽化した土台を改修したばかりだった。

震災後、八戸市民の間に地域の遺産を守ろうという機運がさらに高まり、昨年8月に怪談「廓回廊闇がたり」という朗読と落語の会、11月に八戸工業大学の公開講座、12月にも「廓回廊昔がたりと花舞あそび」というイベントを開催し、好評を得たという。

収容人数が少ないのでそれほどの収益は上がらないが、宿という場を新たな地域の情報発信拠点として育てたいという意気込みが感じられる。また、そういう志を同じくする人たちによって支えられているのだろう。

岩手県久慈市

新山根温泉
べっぴんの湯

『あまちゃん』で
戻った客足
久慈(くじ)市内はともかく、山中のべっぴんの湯の周辺にもほとんど雪がないのは驚きだった。フロントで宿泊だというと、別室に通され宿帳に記入して、浴衣と鍵を渡された。小浴場へ行く途中から宿泊棟へ入り、一番奥の部屋に行く。こぢんまりした6畳で、窓からは森が一望された。寝具はセルフサービスと書かれている。

支配人の村田勉さんに、震災後の変化を聞いた。東日本大震災による直接的被害は少なかったが、それでも1ヵ月ほど休業を余儀なくされ、さらに1年以上復興工事関係者の宿として利用されたという。観光客が戻ってきたのは、震災から1年半後くらいだった。

やがて、NHKの朝ドラ『あまちゃん』の大ヒットにより、宿泊客も急増。これまでは遠くても首都圏くらいだったが、全国各地からお客が来るようになった。あまちゃんの影響か、山間の湯にも海のイメージを抱いてくる人が多く、舟盛りやアワビの踊り焼付きの宿泊プランが人気だという。

地元食材にこだわって昨年6月に、温泉の利用者が200万人を突破。気がかりなのは、東日本大震災前は多かった海辺からの入浴客がまだ戻ってきていないことだ。「今後も、地元のものにこだわっていくしかないと思っています。今冬から地元に伝わる黒豆を発酵させた保存食、ごど豆を、夕食に出したり販売したりするようにしました」 塩水で戻したというごど豆は、意外に癖がなく薄味の煮豆のようだった。

pH10・8という東北一の強アルカリ泉は健在で、肌がつるつるで気持ちがいい。サウナの後は、15℃の冷たい源泉に浸かると、これも滑らかで心地よい。大浴場の露天風呂、眺めのよい小浴場と梯子を繰り返してしまった。

べっぴんの湯からの帰り、少し遠回りをして三陸鉄道北リアス線に乗った。大津波に襲われた浦々から瓦礫は消えていたが、防波堤や復興住宅の工事は、まだ緒に就いたばかりというところが多かった。

さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。
近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』

(ノジュール2016年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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