お知らせ 2023年7月13日

迫力のデジタルディスプレイで学ぶ
「明治日本の産業革命遺産」

日本が誇る世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」。最新技術を駆使した展示を行う産業遺産情報センター館内を探訪し、脈々と受け継がれてきたその歴史をひもときます。


「明治日本の産業革命遺産」を識る
(産業遺産情報センター 研究主幹 伊東孝)

 明治日本の産業革命遺産は、8地域、23の構成資産をひとつのストーリーとして評価された世界遺産です。平成27年(2015)にユネスコの世界遺産に登録されました。当館では、世界遺産登録までの道のりから解説を始め、製鉄・製鋼、造船、石炭の3分野を中心に幕末から明治にかけての五十数年の間に日本が産業国家になるプロセスを、写真や映像を用いて解説しています。また、産業労働の実態についても、モニターやマルチディスプレイを用いて解説。貴重な証言映像や豊富な一次史料もデジタルアーカイブ化され、閲覧することができます。これまで国の重要文化財や自然遺産について世界遺産への登録が進んできましたが、今も動いている日本の大企業の稼働資産が明治日本の産業革命遺産というストーリーに含まれているのも、当館で紹介している世界遺産の特徴のひとつでしょう。イギリスで約200年かかった産業革命をわずか半世紀でなし得た日本の産業の歴史を学び、お楽しみいただければ幸いです。


「明治日本の産業革命遺産」を学ぶ
 さてここからは、東京都新宿区にある産業遺産情報センターの統括責任者、西川三津子さんの案内による館内見学だ。ゾーン1では明治日本の産業革命遺産がユネスコによって世界遺産に登録された経緯と概要を学ぶ。
「活動開始から登録まで16年もの歳月がかかりました。遺産の概略や経緯、登録が決まったときに尽力された方々の喜びの表情などもここでご覧いただけます」
 世界遺産を構成する資産を7面の画面で表示するリキッド・ギャラクシー(体感型マルチディスプレイ)で眺めるとリアルで迫力もあり、その場に行ったような感覚になる。
 そして次のゾーン2では、産業国家になるまでのプロセスをたどるメイン展示に目を奪われる。
「イギリスで18世紀に始まった産業革命が非西洋の国で行われたのは日本が最初です。日本では、1850年代から明治43年(1910)までの五十数年という短期間に、知識と技術が移転された。それが大きな特徴です」
 では、明治の日本人は何をしたのか。
「幕末の侍たちは、西洋の本を読むことで知識を取得しました。明治時代になると、政府は製鉄を学ぶために製鉄所とエンジニアを輸入して知識と技術の移転を進めました」
 こうして、製鉄・製鋼、造船、石炭の3分野で同時に進行した西洋化は急速に実を結ぶ。
「知識・技術を取得し、人材も育成し、メイド・イン・ジャパンが造れるようになった日本は、産業革命発祥の地、イギリスの首都ロンドンで日英博覧会を開催。世界に対して新興工業国として名を馳せました。それが明治43年(1910)のことです」
 明治時代の産業遺産には大砲鋳造のための反射炉や造船所、製鉄所、石炭産業などの重工業を中心としたものが多い。
 構成資産のある地域は、萩、鹿児島、佐賀、長崎、三池、八幡のほか、反射炉のあった伊豆の韮山や鉄鉱山のあった岩手の釜石に及ぶ。それらの資産は、船や鉄を造り、石炭を採掘して燃料を供給するという、いずれも国家的な大事業だ。これほどの変化が明治初期に起こっていたという事実には驚くばかり。近代製鉄の歴史をたどれば、官営八幡製鐵所の操業開拓が今からたったの120年前に過ぎないことに、ため息が出るほどだ。
「官営製鐵所は最初、釜石に造られました。明治政府はイギリス製の製鐵所の主要施設一式を輸入し、同時に技術者も招へいしました。しかし、どうにもうまくいかず、民間に払い下げられました。その後、明治政府は官営製鐵所を八幡村に建設。この時ドイツの最新技術を導入し、また技術者も招へいしました。しかし、釜石同様にやはり
技術的な困難や技師間でのトラブルが伴い、順調に船出することができませんでした。ですが、日本の技術者はあきらめず、製鋼に挑戦し続けました。明治32年(1899)に建設が始まってからわずか10年を経た明治43年(1910)には、鉄鉱石から鉄鋼をつくる銑鋼一貫製鐵所として安定操業にこぎつけることができました」
 日本の産業革命は、まさにドラマの連続だ。
 ゾーン3の資料室に向かうと、そこには、豊富な資料を見ることのできるデジタルアーカイブがある。
「『明治日本の産業革命遺産』における産業労働の実態を示す、出典の明らかな一次史料や一定の信憑性が確保された証言などをデジタルアーカイブ化しています」
 充実した内容なので館内見学にはたっぷり半日かかりそう。それを終えたら、さあ、実物の産業遺産を見に、旅に出てみよう。