[エッセイ]旅の記憶 vol.51

ハイダグワイへの旅

倉本聰

カナダの西岸北緯54度のあたりにクインシャーロットという群島がある。黒潮の末端がその島を洗う為、常に霧に覆われた雨林である。人は殆んど住まず、島は太古の森に包まれ、道はなく船でしか近づけない。ハイダインディアンの居留地であるこの島のことをハイダの人々はハイダグワイ(ハイダの地)と呼び、かつて栄えた頃の集落の廃村が、トーテムポールと共にいくつか残っている。今は世界遺産に認定されたこの島に、年間千二百人しか人は入れない。この島の自然を痛めない為である。この島に僕は何度も通い、ハイダの親友とキャンプをして過した。親友の名前はグジョーと云ったが、彼はその後ハイダ族のプレジデントになった。島がまだ世界遺産になる前の話である。

ある夏、スプリングアイランドという温泉の出る島に行った時のこと。

母船からゴムボートで島の東岸に上陸し、昼なお暗い原始の森を、道ともいえぬ獣道を辿って温泉の出る西岸へ移動した。道しるべは獣道に点々と置かれた貝(はまぐり)の破片だった。

温泉に浸かってのんびりと過し、陽が暮れてから東岸の、ゴムボートを置いた浜へと帰ることになった。

昼間でさえ暗かった森の小路を、夜になってどうやって見分けるのか、僕はいささか不安だったのだが、グジョーは迷わずぐんぐんと進む。ついて行きながらふいに気づいた。

その夜は月がきれいに出ていたのだが、気づくとその月の光を反射して、昼間ゴミのように散乱していた貝の破片が一つ一つ闇の中に光を放ち、まるで滑走路の誘導燈のように進むべき道を示しているではないか。

息をのむようにそれは美しく、僕はその小路を「貝の路」と呼んだ。

誰がこんなことを思いついたのだとグジョーに聞くと、グジョーはニヤリと天を指し、先祖がイーグル(鷲)から教わった、と云った。

白頭鷲が海で貝を採り、樹上に持ち返ってそれを喰う。その貝の殻が地上にばらまかれ、月光を浴びて光を放つ。その光を知ったハイダの先祖がそれを使って夜の道しるべに使ったらしい。それが今の世に受けつがれているのだ。

先住民の智恵はすばらしい。

その後何度もハイダグワイを訪れた。グジョーは僕の師匠となった。


イラスト:サカモトセイジ

くらもと そう●脚本家。1935年、東京生まれ。
東京大学文学部美学科卒業後、1959年ニッポン放送入社。1963年に退社後脚本家として独立。
1977年、富良野に移住。1984年から私塾「富良野塾」を設立。2006年、閉鎖されたゴルフ場を元の森に還す富良野自然塾を主宰。
2017年春より新ドラマ『やすらぎの郷』をテレビ朝日にて放送。
代表作は『北の国から』など多数。

(ノジュール2017年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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