河合 敦の日本史の新常識 第8回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

実は天下を目指していなかった?

明らかになる織田信長の素顔


イラスト: 太田大輔

インターネットの「Yahoo!検索」で、2020年にもっとも検索された日本の武将は、明智光秀だったそうだ(「日本の武将検索ランキング」〈ヤフー調べ〉)。大河ドラマ「麒麟がくる」の影響が大きいというのがひと目でわかるが、それに続く第2位が、織田信長だった。

織田信長は、日本人なら誰もが知っているし、ドラマや映画などの主人公にもたびたび取り上げられているので、好きだという人は多いだろう。検索ランキングだけにとどまらず、歴史人物の人気投票をすれば、多くのテーマでだいたいベスト3には入ってくる。

若い頃の奇抜な格好や頭脳明晰で素早い決断力、巧みな戦略で敵を次々と倒し、天下統一を目前にして非業の死を遂げる……。おそらくそれが、私たちのもつ一般的な信長のイメージだろう。

だが、近年の研究によると、そうしたイメージとはかなりかけ離れていることがわかってきた。それが、歴史教科書にも反映されてきているので、以下に紹介しよう。「美濃〈みの〉の斎藤氏を滅ぼして岐阜城に移ると、『天下布武〈てんかふぶ〉』の印判を使用して上洛の意志を明らかにした。翌年信長は、畿内を追われていた足利義昭〈あしかがよしあき〉を立てて入京し、義昭を将軍職につけて、全国統一の第一歩を踏み出した」(『詳説日本史B』山川出版社2018年)これを読むかぎりは、昔の教科書の記述とあまり変わらない。問題なのは「天下布武」の解釈として説明された、次の脚注部分である。「当時の『天下』には、世界・全国という意味のほか、畿内を示す用法もあった。信長の用いた『天下』を後者の意とみる説もある」――私たちは「天下布武」というのは、全国に武家政権を樹立するという意味であり、信長は天下統一を目指していたと教わってきた。なのに、教科書には「天下」=「畿内」説が紹介されているのだ。なお畿内とは、大和・山城・摂津・河内・和泉国の5つ、おおむね現在の奈良・京都・兵庫・大阪の2府2県にあたる。

実は近年、「天下布武」は全国統一を意味する言葉ではなく、足利義昭を奉じて上洛し、畿内に室町幕府の将軍政治を復活させようという意味に解釈すべきだという説が強くなっている。信長は、将軍の政治を復活させて京都を中心とする畿内を安定させ、そのうえで、自分の分国(領国)拡大に乗り出していくつもりだったのだとする。

しかし、なかなか畿内は平和にならず、仕方なく信長は畿内周辺の敵を次々と平らげ、やがて将軍義昭とも対立するようになってしまう。結果、「天正元年の義昭追放を機に、『天下』であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、天下は全国を意味する語へと飛躍していった」(池上裕子著『織田信長』吉川弘文館)というのである。つまり、頑張って畿内を安定させようと戦っているうち領地が急拡大し、さらに将軍義昭を追放してしまったので、はからずも自分がそれに代わって天下人になるような状況が生まれたというわけだ。なお、信長は楽市・楽座や関所の廃止など、経済的な先進性があったと教科書には書かれているが、これについても近年は、もっと先進的な大名はほかにもおり、取り立てて〝信長の政策が進んでいたわけではない〞ことがわかってきた。

また、長篠〈ながしの〉の戦いでは、武田勝頼〈たけだかつより〉の騎馬隊を3千の足軽鉄砲隊の三段撃ちで破ったことが有名だが、最近は、大量に鉄砲を使用する画期的な戦い方ではあるが、三段撃ちは否定され、武田軍も多数の鉄砲を有していたことが判明、勝因は単なる数の差(織田・徳川連合軍は武田軍の2倍以上の数)だったという説も出てきている。

さらに、信長は「同盟相手同士が敵対しても、そのまま手をこまねいていた」、「すべての勢力と同盟関係を結んだり、逆にひとつの勢力だけに肩入れしたり、と周りに流される不器用さ」、「外交という局面における状況判断の甘さ、平衡感覚の欠如」、「裏切られるまで、その気配に気づかない油断」(金子拓著『織田信長不器用すぎた天下人』河出書房新社)など、空気の読めない外交ベタが指摘されているのだ。

このように、歴史研究の進展によって、これまで多くの人が思い描いてきた織田信長像は大きく変わりつつある。信長ファンにとっては耳が痛い話ばかりだが、いずれにせよ歴史に大きな存在感を残した事実は変わらない。どんな人物も、見方次第で二面性があることのいい例かもしれない。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。

(ノジュール2021年5月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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