河合 敦の日本史の新常識 第18回
ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。
鎌倉時代に発展したのは臨済宗だけ
あまり影響しなかった
鎌倉新仏教
イラスト:太田大輔
今回は鎌倉特集にあわせて鎌倉新仏教について語りたい。
そう、浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)、日蓮宗(日蓮)、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)である。
むかしの教科書には、次のように鎌倉新仏教の概要が説明されていた。
「平安時代の末ごろから、貴族の没落や平家の盛衰をみて、人びとはこの世のはかなさを感じ、宗教にすがる気持が切実になっていった。この要望にこたえるため、天台・真言の両宗にかわる新しい宗派がつぎつぎに生まれた」(『三省堂 日本史 改訂版』 1980年)
このように勃興の背景を語り、その開祖や教えを解説したあと「新仏教に刺激されて、旧仏教の内部にも革新運動がおこった」と記し、旧仏教(南都六宗や天台・真言宗)を改革した貞慶〈じょうけい〉、明恵〈みょうえ〉らの業績を紹介している。これを読むと、鎌倉時代に新仏教が急激に発展し、旧仏教に大きな影響を与えたと読み解ける。
現在の教科書はどう書かれているのだろうか。もっとも斬新な『日本史B新訂版』(実教出版 2018年)を紹介しよう。「中世の仏教界の中心勢力は、依然として東大寺・興福寺・延暦寺・東寺などの旧仏教の諸寺であった。(略)しかし、源平の争乱とその深刻な被害は仏教界に衝撃を与えた。祈りの力で内乱を止めることができなかったからである。その反省から、聖〈ひじり〉たちが清新な仏教革新の運動をおこした。穏健派は僧侶の在り方を見直して戒律の興隆をはかろうとし、急進派は仏教の教えを根本的に問い直そうとした」
むかし、私たちが習った内容と大きく違うことがわかる。鎌倉時代の仏教の中心は旧仏教だと明言し、仏教革新運動を穏健派と急進派に分類している。さらにこの教科書では、穏健派として貞慶や明恵ら旧仏教側の聖(僧侶)を紹介し、急進派として浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、曹洞宗をあげている。
じつは、鎌倉時代に新仏教が次々と生まれ、それが旧仏教に影響を与えて改革がなされたという説はもう古いのだ。現在では、仏教革新運動のうち、急進的なのが私たちの知る鎌倉新仏教の開祖たち、穏健的なのが旧仏教の改革者という枠組みに変化しているのだ。
ところでみなさんも気づいたと思うが、急進派として紹介されている宗派が5つしかない。そう、栄西が興した臨済宗が抜けているのだ。
この教科書では、臨済宗はすでに鎌倉時代に幕府の厚い保護を受け、「莫大な財源をゆだねられ」、「寺社の修築や交通路の整備などの社会事業で大いに活躍した」ので、「旧仏教とともに体制仏教の一角を占めた」ととらえ、仏教革新運動の枠組みに入れていないのである。そんな臨済宗の開祖栄西は、宋に渡り日本に禅宗をもたらしたが、鎌倉にやってくると、北条政子など北条氏の帰依を受け、頼朝一周忌の導師〈どうし〉に抜擢された。さらに北条政子が寿福寺をつくると、その開山(初代住職)となった。こうした実力者の厚遇に加え、禅の思想が武士の気風に合ったようで、後に建長寺開創など臨済宗は鎌倉時代に大きな発展をとげた。 なお、栄西がもたらしたのは禅だけではなかった。喫茶の習慣も広めている。宋での経験をもとに日本初の茶の効能書『喫茶養生記』を著し、3代将軍実朝が病にかかったとき、この書を贈呈した。栄西は「茶は養生の仙薬で、延齢の妙術だ」と述べ、「喫茶で我が国の医学に新風を吹き込むつもりだ」と語る。さらに「茶の苦みは心臓に劇的に効く。心臓が健康ならすべての臓器が正しく機能する。だから茶は万能薬なのだ」と強調。さらに二日酔い、眠気、倦怠感の解消などにも良いとベタ褒めしている。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『教科書に載せたい日本史、載らない日本史〜新たな通説、知られざる偉人、不都合な歴史〜』(扶桑社新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)など。
多摩大学客員教授。