河合 敦の日本史の新常識 第29回

ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。

明治の世に男女同権を唱えた

マイホームパパ・福沢諭吉


イラスト:太田大輔

40年近く1万円札の肖像として親しまれた福沢諭吉。来年いよいよ渋沢栄一と交代して姿を消してしまう。

諭吉といえば慶應義塾の創設者で、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という『学問のすゝめ』の一節を思い浮かべる方も多いだろう。人間の平等をとなえた諭吉だが、フェミニストであり、マイホームパパでもあった。

諭吉は、「男女格別に異なる所はただ生殖の機関のみ。(略)体質に微塵の相違なきのみか(略)男子の為〈な〉す業〈わざ〉にて女子に叶わざるものなし」(「日本婦人論 後編」中村敏子編『福沢諭吉家族論集』岩波文庫 所収)と、生殖器以外は男女に異なるところはないとし、「家事を取扱うの権力は、夫婦平等に分配して尊卑の別なく、財産もこれを共有にする(略)相互いに親愛し、相互いに尊敬」すべきで、「妻を一人前の人として夫婦同等の位に位し、毎事〈まいじ〉にこれに語り、毎事にこれと相談すること(略)時として内外の事に説の合わざるときは、議論する」のが大事だと語り、女性に対しても「婦人とて家の内にばかり居るべきにあらず、自由自在に外に出て、男女の別なく立派に附合〈つきあ〉すべき」(前掲書)と勧めた。

そんな男女同権を主張する諭吉が結婚したのは28歳のとき。相手は同じ中津藩士・土岐太郎八〈ときたろはち〉の次女・錦〈きん〉(17歳)。諭吉は以後、妾もおかず花柳界にも出入りせず、良い家庭を築く努力を怠らなかった。諭吉は言う。「家の中に秘密事なしというのが私方〈わたくしかた〉の家風で、夫婦親子の間に隠すことはない、ドンナ事でも言はれないことはない。子供がだんだん成長して、これはあの子に話してこの子にはないしょなんて、ソンナ事は絶えてない。親が子供の不行〈ふゆ〉きとどきをとがめてやれば、子供もまた親の失策を笑うと云うような次第で、古風な目をもって見るとちょいと尊卑の礼儀がないように見えましょう」(会田倉吉校注『福翁自伝』旺文社文庫)

家父長制の強い明治時代とは思えない、アットホームな家風だ。福沢諭吉・錦夫妻は9人(4男5女)の子をもうけたが、ひとりも死なせることなく立派に育てあげた。子の健康には気をくばり、滋養のあるものを食べさせ、熱い風呂には無理して入れなかったし、家の物を少々傷つけても怒鳴ったりせず、何をしても子供には手をあげなかった。長男と次男がアメリカに留学していた6年間、諭吉は300通以上の愛情の籠もった手紙を送り、たびたび家族旅行を楽しんでいる。しかも、「湯治などに行〈いっ〉て家内子供を揉んで遣〈や〉って笑はせる事があります」(『福翁自伝』)と語るように、自ら妻子の身体を按摩でほぐしてやっているのだ。諭吉が明るい家庭を築いたのは、おそらく母の影響が大きいと思う。

天保5年(1835)、諭吉は中津藩士・福沢百助〈ひゃくすけ〉の次男として大坂で誕生した。百助は藩の大坂蔵屋敷の下級役人だったが、諭吉が3歳のときに急死してしまう。そのため福沢一家は中津へ戻ることになり、それからは母の順〈じゅん〉が内職をしながら子供たちを育て上げたのだ。そんな実母のたくましい姿を見て育った諭吉ゆえ、女性の偉大さを実感していたのだろう。

また、福沢家の子供たちは、大坂という自由な都市で育ったこともあって、上下関係の厳しい中津になじめず、近所の子たちと仲良くなれなかった。このため次第に兄弟姉5人だけで固まって生活するようになった。こうした幼少年期の経験が、諭吉を家族第一主義のマイホームパパにしたのではないだろうか。

諭吉は若い頃、長崎遊学を経て大坂へ行き、緒方洪庵の適塾で蘭学を学ぶようになったが、安政3年(1856)9月、兄の三之助が病死してしまう。そのため諭吉はいったん帰郷して家督を相続したものの、すぐに大坂へ戻って蘭学を学び続けようとした。ところが親類縁者はこれに大反対。このとき、母の順だけが賛同してくれたため、諭吉は父の蔵書や掛軸を売って福沢家の40両の借金を精算し、母の暮らしが立つよう手だてしたうえで、大坂へ戻ることができた。母の許しがなかったら、偉大な思想家・教育家は誕生しなかったかもしれないのだ。

明治34年(1901)、諭吉は66歳でその生涯を閉じたが、彼のポリシーはその墓にも表れている。墓石には「福沢諭吉」「妻阿錦」という文字が刻まれているが、それが全く同じ大きさで並んでいるのだ。男女同権をとなえた彼らしい銘といえよう。

残念ながら現代日本では、いまだに政治家や有名人の女性蔑視発言が絶えない。「グローバル・ジェンダー・ギャップ報告書2022」が公表した男女平等の度合いをはかる「ジェンダー・ギャップ指数」は、世界146ヵ国中日本は116位だった。もし福沢諭吉がこれを見たら、なんと言うだろうか。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)

(ノジュール2023年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら