いつか泊まってみたい懐かし宿 第89回
奈良県桜井市
料理旅館 大正楼
自慢の料理は地元食材満載 大神神社御用達の宿
古社ゆかりの杉皮天井
三輪(みわ)駅で下車し、駅前の商店街を歩きはじめて間もなく、右手に立派な門構えの屋敷が見えてきた。
傍らには、達筆で墨書された曰くありげな看板が2枚掛かっている。「料理旅館大正楼」と「大神(おおみわ)神社御用達」。玄関の前で履きものを脱いで上がる、面白い作りになっていた
扉の前でスリッパに履き換えていると、宿の人が内側から引き戸を開け、靴はそのままでいいという。そして、お部屋にご案内しますと、荷物を持って歩きだした。客室と渡り廊下で囲まれた意外に広い中庭があるが、暗いので全貌は把握できない。
通されたのは、廊下を挟んで中庭に面した6畳二間続きの和室。一見ふつうの部屋だが、細部が凝っていた。
宿の人が去ってから、ついつい隅々まで観察してしまう。まず目についたのが、ゴワゴワした外観そのままの杉皮の天井。寝ころぶと杉の大木が迫ってくるよう。後で聞いたところでは、三輪神社に深いゆかりがあるので杉の樹皮を使っているという。
床の間の落し掛けは、風雪に晒されて残った心材らしく、荒々しく野趣に溢れている。床板は細い丸太を組み合わせ、まるで筏の表面のよう。床とこ框がまちも、少し朽ちた感じで面白い。床天井は薄いへぎ板を網代風に組んだもの。
廊下との仕切は雪見障子で、窓の部分には細かな風景が彫り込まれたガラスが嵌めてあるという凝りようだ。そして、障子戸下部の板は木目が緻密で不思議な模様を見せている。隣の部屋との間に設けられた欄間も彫刻ではなく、朽ち木のような風合いの板。
隣室はそれほど凝っていないが、一隅の上部に三角形の天袋のようなものがあった。これも見たことがない。またつるりとした天井板は、細かな柾目板でかなりの上ものとみた。
旅心そそる地元食材の数々
ご主人によると、旅館の中核をなしている古い建物は、宿名にふさわしく大正元年(1912)の建築だという。元来は料理屋であったが、戦後それも昭和30、40年代になってから客を泊めるようになったとのこと。
料理自慢の宿で並んだ夕食は、付き出しが小鮎の甘露煮、タラバガニ、ホタテのウニ焼きほか。柿と大和真菜の白和え柿釜入り、むかごのゴマ酢和え柿の葉寿司添え、古代米のサラダ仕立て。刺身盛合せは、タイ、サザエ、イクラ。酥(そ)(古代の練乳)のカボチャグラタン、厚揚げや煮大豆まで入った大和肉鶏の筑前煮、具だくさんの茶碗蒸、味噌汁仕立ての煮麺(にゅうめん)、水菓子など
特別驚くような料理ではないが、伝統野菜の大和真菜(まな)、酥、大和肉鶏など、地元ならではの食材を積極的に使っていて旅心をそそってくれた。
併せて地元の冷酒を頼んだところ、宿から徒歩2、3分の今西酒造で作っている酒があるという。お洒落なピンクの角瓶に入った「風」は飲口がよく、ついつい盃が進んでしまった。
朝食は、鮭の切り身、味付けのり、かにのせ玉子豆腐、しらすおろし、わかめの味噌汁、漬け物、果物などのオーソドックスな和食。
昨晩と打って変わって陽光が射し込む中庭に降りると、隅々まで手入れが行き届いていた。専門の庭師が年に2回やってきて、手入れをするという。
2階の屋根の高さを超えそうなマキや枝振りの見事な松などもすばらしいが、一部に敷き詰められた白玉石に緑の苔が映えているのも美しい。奥に坪庭付きの部屋もあるが基本は中庭で、そのまわりに部屋を配置したという。
これから大神神社にお参りするというと、ご主人は神社境内の地図をくれ、せっかくならば隣接した病気平癒に霊験あらたかな狭井(さい)神社と薬井戸や知恵の神様である久延彦(くえひこ)神社にも、ぜひ足を延ばすようにと勧めてくれた
また、あまり混んでいなければ、参集殿に上がってお願いすると、拝殿からは見えない大神神社独特の三ツ鳥居を見せてもらえるとのことだった。
さいとう じゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。
近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』