[エッセイ]旅の記憶 vol.27

駅前旅館に泊まる旅

下川 裕治

最近、駅前旅館に泊まる旅を続けている。これがやけに味わい深い。

駅前旅館……本誌の読者なら想像できるかもしれない。だいぶ昔に、『駅前旅館』という映画もあった。僕の世代は、『男はつらいよ』だろうか。寅さんが泊まるのは、いつも駅前旅館だった。

駅前旅館はその言葉通り、駅前にあるのだが、観光客はあまり泊まらない。仕事を抱えた男たちの利用が多い。昔は行商、いまは工事関係者だろうか。一泊二食で六千円前後。この安さはうれしい

温泉旅館のような豪華な夕食ではないが、刺身と鍋などしっかりした食事を出してくれる。高知県の江川崎(えかわさき)の宿は、四万十(しまんと)川の鮎が食卓に並んだ。北海道の美深(びふか)の駅前旅館では毛ガニまで出してくれた。

しかし駅前旅館を探すのは難しい。ネット社会の外側にぽつんと佇んでいるからだ。理由は高齢化である。駅前旅館は二代目、三代目の奥さんが切り盛りすることが多い。年齢は六十歳以上。インターネットが苦手ということ以上に、多くのお客さんが来てしまっては対応できないという事情がある。この枯れぐあいが、シニアにはありがたいのだ。

さまざまな方法で探しているが、いちばんたしかな情報は町の観光協会がもっていた。「あそこのおばあちゃんは、体調を崩して休業中なんです」。そんな話も聞かせてくれる。

ビジネスホテルはどこも同じ顔をしているが、駅前旅館は個性に溢れている。徳島県の阿波池田(あわいけだ)の宿に入ると、向かいの銭湯の入浴券をくれた。「大きい風呂のほうが体が温まるやろ」。長野県の白馬駅前の宿はシニアの登山客で埋まっていた。そのひとりが得意げに説明してくれた。

「若者は夜行バスに乗ってそのまま登山。でも我々にはつらい。前泊するには、駅前旅館が好都合」

雰囲気も気楽だ。食堂には冷蔵庫が置いてあり、ビールは勝手にとるスタイルが多い。下宿のような旅の宿なのだ。

しかし駅前旅館の今後は危うい。築六十年、七十年といった建物は、レトロと老朽の境界である。道路建設にかかわる人たちが、かつては駅前旅館を利用した。しかしその道が完成すると、宿に泊まる必要がなくなってしまった。そんな地方の現実も突きつけられる。

熊本県の人吉(ひとよし)で泊まった宿の主人は八十七歳のおばあさんだった。宿を出るとき、自分で編んだ毛糸のハンコ入れをくれた。「ちょぼちょぼやっとります」。そういって笑った


写真:大川裕弘

しもかわ ゆうじ●1954年長野県生まれ。
旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経てフリーランスに。
『12万円で世界を歩く』(1990年)で作家デビュー。以降、アジアを中心に、バスや列車を使ったバックパッカースタイルの旅を書き続ける。
『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。
著書に『格安エアラインで世界一周』『5万4千円でアジア大横断』『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』など。

(ノジュール2014年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら