河合 敦の日本史の新常識 第61回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

亀を助けて竜宮城へ

浦島太郎は実在していた?


イラスト:太田大輔

おとぎ話に登場する浦島太郎が歴史上の人物だと言うと、きっと驚かれる方もいるだろう。実は『日本書紀』(現存最古の朝廷の正史)や『風土記』(奈良時代の地誌)をはじめ、さまざまな歴史書に浦島太郎は登場するのだ。

まずは改めて、おとぎ話「浦島太郎」を振り返ってみよう。

浦島太郎が子どもたちにいじめられていた亀を助けてやると、お礼に竜宮城に案内してくれる。そこで乙姫と楽しい時を過ごし、つい月日が経ってしまう。老母が心配になり、浦島太郎が帰ろうとすると、乙姫は玉手箱を渡し、「向こうに戻っても開けないように」と告げて送り出す。帰ってみると自宅がなく知り合いもいない。数百年の月日が流れていたのだ。途方に暮れた浦島太郎は、約束を破って玉手箱を開けてしまう。すると中から煙が出て、おじいさんになってしまった。おおむね、こんな内容だろう。『日本書紀』に登場する話は、これと内容がかなり違う。名は浦島太郎ではなく、瑞江浦嶋子〈みずのえのうらしまのこ〉。丹波国余社郡管川〈よさつつかわ〉の人だ。今の京都府与謝郡伊根町辺りらしい。あるとき舟で浦嶋子が大亀を釣り上げた。その亀がたちまち女に変わり、興奮した浦嶋子は女と契りを結んで妻とし、彼女の導きで海中の蓬萊山に行っていろいろ巡り見たという。

亀が竜宮城に連れて行くのではなく、女に変化して蓬萊山に向かうのは、私たちの知る話と大きく異なる。蓬萊山は海中にある不老不死の仙人が住む静かで清浄な世界。中国の山東半島に端を発する神仙思想に登場する山だ。

また、三舟隆之著『浦島太郎の日本史』(吉川弘文館)によると、亀が女になる説話は古来の日本には見当たらず、中国から来たと推論する。日本海に面する丹後地方(丹後半島)は古代より大陸とのつながりが深く、交易によって大陸の進んだ文化・技術を取り入れてきた。

同じく、奈良時代に成立した『丹後国風土記』に載る浦島太郎の話も紹介しよう。

やはり舞台は現在の京都府北部。主人公は筒川の嶼子〈しまこ〉とあるが、嶼は島と似た意味なので、『日本書紀』と同じだ。ただ、風土記のほうが詳しい。『浦島太郎の日本史』によれば、嶼子は容姿の美しい雅なイケメン。舟で釣りに行くも三日三晩釣れず、ようやくその後五色の亀がかかった。引き上げてみると『日本書紀』同様、にわかに美女の姿に変わった。驚いた嶼子が「どこから来たのか」と尋ねると、「仙家から来た」と答えたので彼女が仙女だと分かった。名は亀比売〈かめひめ〉。しかも彼女はいきなり嶼子に求婚してきたのだ。嶼子が承諾すると、海の向こうの蓬莱山に連れて行かれ、到着すると両親が出迎え、仙人たちとの豪勢な宴会が始まり、歌や踊りが披露された。その夜、嶼子は亀比売と男女の契りを結ぶ。以後、幸せな時を過ごしたが、3年経ったとき故郷が気になり帰ろうとする。意志が変わらないと分かった亀比売は「決して開けてはいけません」と嶼子に玉櫛笥〈たまくしげ〉(化粧道具を入れる箱)を渡した。戻ってみると、300年が過ぎており、思わず玉櫛笥を開くと、そこから香しい身体(おそらく亀比売の身体)が出てきて天に昇ってしまう。そのとき嶼子は二度と亀比売に会えないことを悟ったというもの。玉手箱ではないが玉櫛笥、数百年時間が過ぎるなど、私たちの知るおとぎ話に近くなっている。

実は丹後半島には浦島太郎を祀る神社がある。宇良神社(京都府伊根町)だ。別名を浦嶋神社といい、淳和天皇の天長2年(825)に浦嶋子を筒川大明神として祀ったのが始まりとされる。もちろん浦嶋子は、浦島太郎のこと。神社には『浦嶋子口伝記』、『續浦嶋子伝記』が伝わっており、平安時代の10世紀前半に成立したようだ。主人公は水乃江乃浦嶋子。ひとりで舟に乗り五色の亀を釣り上げ、居眠りをしている間に亀が女(亀姫、神女とも)になる。その後、連れて行かれた所は常世の国。浦嶋子は亀姫と夫婦になるが、3年後、故郷に帰る浦嶋子に玉櫛笥を与え、「また私に会いたいと思うなら、蓋を開けないで」と告げた。ところが、戻ってみると故郷は寂れて人もいない。300年の月日が流れていたことを知る。日ごと亀姫への思いが募り、玉櫛笥の蓋を開けてしまうと、紫の煙と蘭のよい香りが立ち昇り、常世の国の方へたなびいた。それを追っていくうち、浦嶋子は白髪の老人となり死んでしまうという話だ。

浦嶋子の話はその後もさまざまな書物に記されるが、室町時代の『御伽草子』で浦島太郎という名が初めて登場する。ただ、その結末は老人ではなく鶴になる。その後も書物や伝承で違いが見られ、浦島太郎が玉手箱を開けて若返るというパターンも見られる。ようやく私たちの知るおとぎ話になるのは、近代に入って教科書に載録されるようになってからのことなのだ。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。多摩大学客員教授。
早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『戦国武将臨終図巻』(徳間書店)。

(ノジュール2025年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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