河合 敦の日本史の新常識 第63回
かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。
地球を舞台に幾千里
人類の移動と日本人のルーツ

イラスト:太田大輔
今回は日本列島に人類はどのようにしてやって来て、どんな生活をしていたのかについて紹介しよう。
人類はアフリカで誕生した。最古の人骨はチャドで発見された約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシス。猿人とよばれるタイプの人類だ。彼らは直立二足歩行を始めたが、脳の容量は現代人に比べ3分の1程度。約250万年前になると、新たに初期ホモ属(ホモ・エレクトス、日本でいう原人)が現れ、約200万年前からアフリカを出てユーラシア大陸へと拡散していった。
続く旧人は、遅くても約50万年前には登場していたようだ。代表的なのがネアンデルタール人。対して私たち新人(現生人類、ホモ・サピエンス)の登場は、約30万年前と考えられているので、ネアンデルタール人が約4万年前に滅亡するまで彼らと長年共存していたのだ。最近のゲノム研究の結果、私たちはネアンデルタール人から数%の遺伝子を引き継いでいることが判明している。さらに、デニソワ洞窟(ロシアの西シベリア)で見つかった化石人骨のDNA分析をしたところ、ネアンデルタール人と異なる新種の人類だと分かり、デニソワ人と名付けられた。デニソワ人も新人と交雑しており、近年の研究では、私たち日本人がデニソワ人の遺伝子を引き継いでいることも明らかになっている。
新人は約5万〜6万年前にアフリカ大陸を出て西アジアから中央アジアを経て拡散していくが、その後はヒマラヤ山脈を北へ迂回するルート(南シベリア→モンゴル・中国→東アジア)と南へ迂回するルート(インド→東南アジア→東アジア)で広まっていった。日本列島には、約3万8000年前以降に南北のルートから入ってきたとされる。
東アジアの旧石器時代は前期(約20万〜200万年前)、中期(約4万〜20万年前)、後期(約1万〜4万年前)に区分される。かつては上高森遺跡など、前期遺跡がいくつも出土していたが、のちに国内の前・中期遺跡はねつ造だと否定された。しかしその後、約20万年前まで遡る遺跡が次々に見つかったため、中期旧石器時代に人類がいたことは間違いない。ただ、人骨が出土しないので、それが旧人か新人かは分からない。しかも遺跡数が極めて少ないため、やはり列島に本格的に人類が渡来した約3万8000年前が、日本の旧石器時代の始まりとされる。
当時の日本列島は、現在と地形が異なり、古北海道半島、古本州島、古琉球諸島の3つに区分される。氷河期の海面低下で沿海州・サハリン・北海道は陸続きの半島状になっていた。この地域を古北海道半島と呼ぶ。本州と四国と九州は一つの島で、古本州島という。沖縄周辺は温暖ゆえ島々はつながらず、現在と同様なので古琉球諸島とよばれる。この3地域は気候が異なり、生息する動物や植生の違いから人々の生活も異なった。
旧石器遺跡から出る遺物は打製石器ばかりで、古北海道半島からは化石人骨は見つかっていない。古本州島も約1万8000年前と約1万4000年前の浜北人だけ。対して古琉球諸島では複数の遺跡から化石人骨が発掘されている。
代表的なのは昭和45年(1970)に沖縄県八重瀬町で見つかった港川人。約1万8000年前の4体分の全身骨格である。これまで港川人は直接縄文人へつながり、今の日本人の原型といわれてきたが、遺伝子分析の結果、直接現代人にはつながらず、どうやらその前に消滅した可能性が高いことが分かった。
旧石器時代の人々は10人ほどの小集団で大型獣を追いかけ移動しながら生活していた。狩りは男集団が行い、女性は育児もあるので子どもと一緒に安全な場所にいたと考えられている。狩りの獲物は主に大型獣。マンモスやナウマンゾウ、オオツノジカなどだ。狩猟には打ち欠いた打製石器を用いた。石斧は打撃用の狩猟具。獲物の切断や槍に使用するのはナイフ形石器。のちに投げ槍の先にはめ込んで使用する尖頭器も登場する。旧石器時代末期には3、4㎝の細石器を、木や骨の柄に彫り込んだ溝にはめ込んで用いるようになった。石材は主に黒曜石(天然ガラス)。細石刃が登場したことで石器は軽くて持ち運びが便利になり、より広域に移動できるようになった。獲物は毎日捕獲できるわけではないので、木の実や球根など植物性食料の採取も行っていた。ただ、古琉球諸島南部は大型獣がいないので、狭い範囲での中小動物の捕獲と植物採取に力点を置いた。移動生活なので、住居は洞穴や岩陰を利用し、簡単な小屋掛けやテント式のものだったようだ。
残念ながら縄文時代の土偶や石棒のように、当時の人々の精神世界を知る手がかりは見つかっていないが、今後、科学が発展するだろうから旧石器時代研究は近い将来、大きな進展があるはずだ。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。多摩大学客員教授。
早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『オモシロ日本史』(JTBパブリッシング)。
