[エッセイ]旅の記憶 vol.36
わが文学のふるさと
安部 龍太郎
十八才の頃、人生に行き詰った。福岡県の山里で育った私は、久留米市にある工業高専に進学してエンジニアをめざしたが、途中からこれは俺の道ではないと思うようになった。
それ以上に、中世的価値観につつまれた山里で人となった私には、高度経済成長に向かって突き進む日本の価値観がなじめなかった。
「何や。金や地位や名誉にあやつられた生き方やなかか」
そんなものより大事なものがあるはずだと信じ、社会に対して言いようのない違和感と嫌悪感を持っていた。
だが、それを分ってくれる友人も先生もいなかった。そんな危機的な状況で出会ったのが、戦後無頼派の作家たちである。中でも坂口安吾と太宰治の作品に触れ、自分と同じ悩みを持っている人がいると分かって、救われた思いがした。
それが高じ、二十歳の時に太宰のふるさとを訪ねる旅に出た。弘前から五所川原、金木を回り、太宰の生家である斜陽館を訪ねた。
そして偶然、龍飛岬で太宰の文学碑の除幕式が行われていると聞き、タクシーを飛ばして津軽半島を北上した。
岬の先端に近いところに建てられた文学碑には、「ここは本州の袋小路だ」で始まる『津軽』の中の一文が刻まれている。除幕式に集まった方々の中には、太宰の娘の津島園子さんや評論家の相馬正一先生の姿もあった。
私は太宰と同じ文学の道を進もうと覚悟を定め、文学碑の台座にコップ酒をそそいで誓いを立てた。
このたび還暦になり、四十年ぶりに龍飛岬を訪ねた。文学碑はあの日と同じ姿で立ち、津軽海峡の荒波に向かっている。台座には昭和五十年十月九日と、建立の日付けが刻んである。
ああ、この日だ。この日私は金もないのに弘前からタクシーを飛ばしてここまで来て、文学の道に踏み出した。まさに文学のふるさとと呼ぶべき場所である。
そうしたことを思いながら、あの日と同じように台座に酒をそそいだが、わが文学の道程がどこまで進んでいるかと考えると、いささか心許ない。
もしあと二十年の命に恵まれ、傘寿を迎えることができたなら、もう一度ここを訪ねて、三度目の乾杯をしたいと思っている。
写真:大川裕弘
あべ りゅうたろう●1955年福岡県八女市生まれ。小説家
1990年『血の日本史』でデビュー。2005年『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞受賞。
歴史時代小説を精力的に発表。安土桃山時代~江戸時代初期に活躍した絵師、長谷川等伯の生涯を描いた
長編小説『等伯』で2012年第148回直木賞を受賞。山陽新聞等の連載小説『家康』が話題に。