東西高低差を歩く東京編 第6回

地形に着目すれば、新しい姿や物語が見えてくる。
そんな町歩きの魅力を関西・東京で毎号交互にご紹介していく連載企画。
第6回目は、東京・大久保。
江戸から現在の東京まで、 凸凹地形が町の成り立ちの基礎に あったことがよくわかります。

崖の下のテーマパーク、大久保


イラスト:牧野伊三夫

先月号の梅林秀行さんの寄稿「崖の下の本能寺の変」は衝撃だった。平坦に思える京都中心市街にも土地の凹凸が存在し、本能寺が立地していたのは古西洞院川が侵食した谷地形だったという。戦場での土地の高低差は極めて重要な意味を持つ。すなわち、敵を見下ろせるような場所、土地の高い方へ陣取った軍は、戦術面で圧倒的に優位である。城の立地を想い返せば分かりやすいが、勝敗の行方は土地の高低差に左右されることが多い。

東京・山の手の場合、京都の中心市街地よりも複雑な凹凸地形があることを、東京スリバチ学会として紹介している。都民にもあまり知られていないのだが、都心山の手には谷地形やスリバチ状の窪地がいたる所に存在し、そのような場所では今でも湧水を確認できることがある。元々は湧き出る水が形成した地形であり、土地の起伏の豊かさが東京都心のアイデンティティとも言える。そんな凹凸地形を利用し、東京でも中世・戦国時代には数多くの城郭が造られていた。

さて、戦国の世が終わり政治の中心地・平和な時代の都として江戸の町は発展・拡大してゆく。寛永12年(1635)、三代将軍家光は、参勤交代を制度化し、諸大名は国許と江戸双方で暮らすことが義務付けられる。それに伴い幕府は大名たちに屋敷地を与え、藩主はそこに屋敷を構えた。藩主と家族が居住するのが上屋敷、隠居した藩主などが住まう上屋敷の控えとなる中屋敷、別邸として客人を接待する場として利用した下屋敷などがあった。特に下屋敷には自然豊かな庭園を抱えることが多く、大名屋敷から成る江戸は木々の生い茂る庭園都市のような様相だったに違いない。もちろん長屋が軒を連ねる町人地は別ではあるが。大名屋敷に付随する大名庭園は、池泉回遊式といった池の周りを散策できるような形式が多く、池の水に利用されたのが谷地形を流れる川や、窪地から湧き出る清水だった。

江戸の市中で最大規模を誇った大名庭園が尾張徳川家の下屋敷。その土地の名は「大久保村」と呼ばれた。凹凸地形図からも「広大な窪地」が存在する様子が分かるだろう。この独特な地形を利用し「戸山〈とやま〉荘」と呼ばれる尾張徳川家の大名庭園が存在していた。その窪地は現在、戸山公園や戸山ハイツという大規模団地に利用されている。戸山ハイツとは戦後はGHQの命令で日本初の水洗式トイレを備えた大規模団地で、戦前には陸軍戸山学校の敷地だった土地だ。

戸山荘は窪地の底を流れていた蟹川(金川・可仁川とも書く)という自然河川の流れを堰き止め、長さ650mにも及ぶ細長く大きな池を配した池泉回遊式庭園であった。1668年の着工から27年の歳月をかけ、窪地の底に実物大の町屋や商家が建設され、小田原宿の外郎屋を模した古駅楼のほか渡し舟、茶屋、本陣まで揃う、居ながらに東海道の旅が味わえる一大テーマパークであったという。窪地を見下ろす築山は玉円峰とも丸ヶ嶽とも呼ばれ、現在でも箱根山(標高46.6mは山手線内最高峰)として残る。崖で周囲から隔たれた土地はテーマパークという閉鎖領域を作るのに都合がよい。戸山荘は大きな窪地の地形特性を巧みに活かしたプライベートパークであった。

ちなみに池泉に利用された蟹川とは、神田川の一支流で水源は西武新宿駅辺り、歌舞伎町内にはかつての流路と思われる湾曲した道が残されている。戸山荘の下流側では穴八幡宮の崖下を流れ、豊かな水田地帯だった「早稲田」の土地を潤し、江戸川橋近辺で神田川に合流していた。

現在、東京都心に点在する公園には、日本庭園風に池が設けられていることが多いが、それらの多くは江戸の大名庭園を継承しているものだ。そのいくつかがスリバチ状の窪地に立地する。水に恵まれた窪地は、閉鎖的な特性ゆえ大名達が趣味趣向を競い合う別世界に成り得た。そんな江戸の庭園文化を今に伝える施設が、公園だけでなく大使館やホテル、迎賓施設などに数多く残されているのが東京の一面だ。

土地の高低差が戦術的に利用されるケースは多い。けれども平和の時代には、独自の世界観を具現し、おもてなしの空間に活用された土地の高低差も存在したのだ。

皆川典久 〈みながわ のりひさ〉
東京スリバチ学会会長。地形を手掛かりに歩く専門家として、「タモリ倶楽部」や「ブラタモリ」に出演。
町の魅力を再発見する手法が評価され、2014年には東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞した。
著書『凸凹を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)が10月25日に新装刊。

(ノジュール2020年4月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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