東西高低差を歩く関東編 第28回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

三宝寺池・石神井池

~スリバチと水田の競演~


イラスト:牧野伊三夫

武蔵野台地の標高50m付近には、いくつかの湧水池が連なっている。以前にこの連載で取り上げた井の頭池をはじめ、善福寺池や三宝寺池などが該当する。乏水性の台地にとってはいずれもオアシスのような存在で、武蔵野三大湧水池とも称された。今回はそのひとつである三宝寺池と、双子のようにならぶ石神井池を取り上げたい。土地の高低差に着目すると、それぞれの特徴が際立つからだ。 まずは、武蔵野の自然が保全されている三宝寺池について。スリバチ状の三宝寺池は石神井川の水源のひとつで、池周辺は三代将軍徳川家光が鷹狩に訪れるなど、江戸時代から名勝地として知られ、『江戸名所図会』にも描かれた。三宝寺池の特徴として、池の底から生えるハンノキの群生と水草の繁る浮島があり、三宝寺池沼沢植物群落として国の天然記念物に指定されている。

池の中島に祀られているのが厳島神社。創立年代は不詳だが、江戸時代には三宝寺池中の島の弁天社として、水源守護のため近郷村民の厚い信仰を受けていた。厳島神社の右となりにある水天宮(水神社)も江戸時代からあった古社で、穴弁天(宇賀神社)と共に境内社となっている。井の頭池の弁財天と同じく、スリバチ状の湧水池は神聖化され、信仰の対象でもあったのだ。大正4年(1915)の武蔵野鉄道(現・西武池袋線)開通を契機に、浮島を結ぶ太鼓橋が架けられ、池周辺にはボート乗り場や人工の滝もつくられ、さらには料亭豊島館や武蔵野館などが開業し、一大行楽地として活況を呈した。大正9年(1920)には池の一部を使った日本初の100mプールが「府立第四公衆遊技場」として開場、オリンピック大会を目指す日本選手団が合宿練習し石神井遊泳団と呼ばれた。昭和年(1933)発行の『石神井名所案内』には、「『清冷の池水を引用せる都下随一といわれる大プール」と記される名所だった。けれども現在それら施設はすべて廃止されている。かつての活況が嘘のように現在の池畔は静寂に包まれ、ただひとつ水辺観察園が100mプールの東半分に相当し、当時の記憶を今に伝えている。

皆川典久 〈みながわ のりひさ〉
東京スリバチ学会会長。
地形を手掛かりに町を歩く専門家として『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』に出演。
著書に『東京スリバチ地形散歩』(宝島者)や『東京スリバチの達人/北編・南編』(昭文社)などがある。
都市を読み解くツールとして『東京23区凸凹地図』(昭文社)の制作にも関わった。

(ノジュール2022年2月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
ご注文はこちら