河合 敦の日本史の新常識 第24回
ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。
「入鉄砲に出女」を取り締まった関所
教科書に書かれていない
実態とは!?
イラスト:太田大輔
江戸時代は、寺社参詣や湯治による旅しか認められなかったが、19世紀に爆発的な旅行ブームが起こり、観光地は大賑わいとなった。そんな旅の障害となったのが関所だ。主な関所として東海道の箱根や新居〈あらい〉、中山道の碓氷〈うすい〉や木曽福島、甲州道中の小仏、奥州・日光道中の栗橋などがあったが、旅人は必ず関所でチェックを受けなくてはならなかった。教科書にも「関所では手形の提示を求められ、とくに関東の関所では『入鉄砲に出女』を取り締まった」(『改訂版詳説日本史B』山川出版社2022年)とある。
「入鉄砲」とは江戸に入る鉄砲などの武器類、「出女」は江戸から出ていく女のこと。江戸に武器を大量に運び入れて大名らが謀反をおこすことを防ぎ、また、江戸にいる大名の妻女を国元へ逃さないための措置であった。
ただ、関所が手形の提示を求めるとする教科書の記述は正しくない。男性は、関所手形は必要ないのだ。研究者の渡辺和敏氏は「制度的には関所手形は不要だったが通過する際に関所役人から厳しく取り調べられることもあるので、居住地の名主や旦那寺、時には関所近くの旅籠屋などで関所手形を書いてもらったり、自分で書いたりすることもあった」(『東海道交通施設と幕藩制社会』愛知大学綜合郷土研究所)と述べる。とくに旅籠屋による手形の発行について「関所では男性の通行に関所手形が不要であるが、関所近在の旅籠屋などが故意に誤った情報を流して旅行者から金銭を集めていたのかも知れない」(前掲書)という。とらえかたによっては、関所の役人が近隣住民と結託した詐欺まがいの商法だ。とはいえ、関所の通過がフリーパスだったわけではなく、関所では役人に面通しをさせられ、怪しいと睨まれたら執拗にチェックされた。
一方、女性は手形(女手形)が必須だった。新居関所の場合、江戸方面からの女(出女)は、幕府の留守居役〈るすいやく〉が発行した。反対側からの手形は駿府町奉行や浜松藩主などが発行した。出女(江戸から出てくる女性)だけでなく、江戸へ向かう女性(入女)も手形が必要だったのである。さらにいえば、新居関所では近隣に住む女性も、関所を越えるには女手形を必要とした。
素姓や身元ははっきりわかっているのになぜなのか。
その理由は人口を維持するためであった。子どもを産む女性が他所へ移動してしまえば人口は減ってしまう。農村であれば農業生産にも影響をおよぼす。だから幕府や諸藩は女性を土地にしばりつけようとしたのだ。
加えて、女性の人身売買を防止する機能があったのではないかという説もある。
さて、女性の関所でのチェックだが、江戸後期になると女複数名で旅行するケースも出てくるが、女の一人旅はほとんどいない。夫か親か子か、「下男」など男の同伴者がいる。この者が女手形を関所に提出し、やがて役人から本人が呼び出され、チェックを受ける。少しでも不審な点があると、役人は人見女〈ひとみおんな〉を呼ぶ。箱根関所の場合は、代々、近くの農家の女性が二人体制で行い、その地位は定番人と同格だというから、そこそこの地位だった。 人見女は旅の女性の髪をほどき、詳しく調べた。怪しい場合は裸にして調べることもあり、新居関所には「女改之長屋〈おんなあらためのながや〉」というそれ専門の部屋が置かれていた。旅する女たちは関所で極めて不快な思いをしたわけだ。
こんな思いをするくらいなら、関所を通らず山道を抜けてしまえばいいわけだが、関所破りは死罪(磔)と決まっていた。
ただ、関所破りの記録を調べてみても、260年以上続いた制度なのに、その事例はほとんど見いだすことができない。たとえば、日本最大の関所は箱根関所と新居関所だが、箱根は6件(明治になってから1件)、新居はわずか2件しか記録がない。
この件について渡辺氏は、「関所破りの現行犯で逮捕された人が極めて少なく、ほとんど後日に発覚して処刑されている」。それは「関所役人が関所破りの摘発にあまり熱心でなかった」(前掲書)からだと指摘。「関所破りは磔という厳罰であるからその刑に処するに忍びなかったこと、そしてこの厳罰を実行すれば地域社会が混乱して民心が離れることが明らかである。しかもこうした行為をすべて関所破りとして扱うと、今までもこうした行為を見逃していたことになって関所役人の落ち度となる」(前掲書)からだと述べる。
ようは、いろいろ面倒なので、役人や近隣の住人は、旅人の山越えや海路での関所破りを見て見ぬふりをしていたらしいのだ。
教科書に「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まったと記されている関所だが、その実態は大きく異なっているのである。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院終了後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『世界一受けたい授業』『歴史探偵』出演のほか、著書に『徳川15代将軍解体新書』(ポプラ社)、『江戸500藩全解剖一関ヶ原の戦いから徳川幕府、そして廃藩置県まで』(朝日新書)など。