河合 敦の日本史の新常識 第31回
ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。
衣服や冠婚葬祭まで――
庶民の贅沢を禁じた江戸幕府
イラスト:太田大輔
江戸時代、幕府はとにかく人々が贅沢するのを禁止し、たびたび法律で規制をかけた。
服でいえば、幕府は木綿や麻を着ることを奨励し、絹の使用を制限していた。将軍綱吉は天和3年(1683)閏5月、次のような禁令を出している。「女性は、薄くて軽い絹地に金糸を織り込んで文様をあしらった服を所有していたとしても、今後は決して着てはならない」
とは言え、幕府が規制をかけても言うことを聞かない者たちが少なからず存在した。だから元禄元年(1688)12月にも、「町中で女たちが結構な服を着ているという話が耳に届いているぞ。先年、通達したように規定以外の贅沢な衣類は、一切着てはならない。女に限らず、町人どもも禁じられている類いの服は身につけてはならぬ。もしこれに違反し、華美な衣類を着ているのを役人が見かけたら、男女共にこれを召し捕らえ、厳しく叱りつけるから覚悟せよ」という町触れがでている。
それでも違反者がいたようで翌年には「禁止している衣類を着た女は、町奉行所の与力が逮捕し、牢獄に入れることにする」というように、さらに法令が厳しくなっている。それにしても、服装違反によって監獄に収容されてしまうなど、現代では到底考えられないだろう。
だが、庶民はしぶとい。将軍吉宗の享保3年(1718)5月の法令を見るとわかる。「町人男女衣類の儀、前々も相触候得共(前から制限の法令を出しているが)、(相変わらず)美麗の由に候。此間は別して結構になり(ことに最近は華美になり)、下着までに心を付け候ように相聞こえ、不届きに候」とあり、文句を言ってくる幕府に対抗し、見た目ではわからない下着に絹などぜいたくな生地を用いたのである。
ところで、江戸時代における庶民の服だが、最も多かった色は茶色と鼠ねずみ色(灰色)だった。別に彼らがその色を好んだり、流行していたからではない。これも江戸幕府のせいだった。
幕府は、庶民が身につける服の生地だけでなく、色についても制限を加えたのである。とくに紅や紫を高貴な色とし、その色の服を身につけることを禁じた。このため江戸の庶民は、仕方なく茶色や鼠色系統の地味な色を身につけるようになった。
ただ、反骨精神旺盛だったこともあり、人びとは同じ茶色や鼠色でも、微妙な色相の違いを数多くつくり出してバリエーションを楽しんだ。そして、それらに風月山水や歴史的人物、さらには人気歌舞伎役者の名をつけた。かくして俗に「四十八茶百鼠〈しじゅうはっちゃひゃくねずみ〉」と呼ばれる多様な茶色と鼠色が誕生した。
たとえば鼠色をとっても、桜鼠、銀鼠、利休鼠、深川鼠、浪花鼠、黄鼠、源氏鼠、松葉鼠、鴨川鼠、牡丹鼠など数え切れないほどである。
ちなみに茶色のなかに「路考茶〈ろこうちゃ〉」と呼ぶ色がある。かなり緑がかった茶色だが、路考というのは瀬川菊之丞(歌舞伎の人気女形)の俳号である。菊之丞は、舞台でこの色の服や小物を使ったため、女性のファンがそれをまねて流行するようになったという。「団十郎茶」は、いうまでもなく、市川団十郎が代々用いたことに由来する。色的には赤茶色だ。現在でも歌舞伎の三色の引き幕の茶色は、団十郎茶が用いられている。このように庶民は、幕府に法律で規制されてもうまくオシャレを楽しんだのだ。
幕府は冠婚葬祭も、庶民の贅沢を厳しく取り締まっている。
宝暦9年(1759)閏7月、幕府は「婚礼のとき不相応に華美な婚礼道具を用いていると聞くが、今後、金銀の金具や蒔絵をあしらった道具は堅く禁止する。これに違反したら厳しく叱りつける」と通達している。
驚くのは天保2年(1831)4月に出された法令だ。「近頃、百姓や町人どもが身分不相応の盛大な葬式を執り行い、墓所に大きな石碑(墓石)を建て、戒名に院号や居士号など付けているそうだな。これはいったいどういうことなのか。これからはたとえ富裕で由緒ある者であっても、10人以上の僧を集めた葬式はしてはならない。また、僧侶へのお礼なども身分や地位に応じて支払い、墓碑の高さは約120㎝を限度とする。とはいえ、以前から立っている石碑(墓石)はそのままで構わない。追って修復などの節に墓石を短くし、院号や居士号を削除しなさい」
このように墓石の大きさや戒名にまで介入しているのだ。逆にいえば、庶民のなかに多くの僧侶を呼んで壮大な葬式を執行したり、武士のように院号や居士号を戒名として付け、さらに120㎝を超える墓石を建てていた人々がいたことがわかる。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)