東西高低差を歩く関西編 第43回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

飛鳥・酒船石

天皇誕生の胎動を感じる


イラスト:牧野伊三夫

日本列島の歴史を考えるうえで、最重要の要素のひとつが「天皇」の存在だ。古代から現代に至るまで帝王あるいは祭祀者、さらには国民統合の象徴として歴史に強い光芒〈こうぼう〉を放ってきた。はたしてこの天皇という存在は、いつ、どのように成立したのだろうか。古代日本の中心地だった飛鳥地域(奈良県明日香村)に残る、「酒船石〈さかふねいし〉」という不思議な石造物から考えてみたい。

酒船石とは長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mの岩石(石英閃緑岩〈せきえいせんりょくがん〉)の上面に、円形と隅丸方形の凹みとそれらをつなぐ細長い溝が彫られたもので、飛鳥時代の宮殿(飛鳥宮)跡を西に臨む位置に置かれている。この酒船石だが90年代以降の発掘調査によって、数々の驚くべきことが判明した。

まずは酒船石の立地環境に注目である。酒船石は周囲からの比高差が約25mの小さな丘の頂上に置かれているが、なんとこの丘自体が飛鳥時代に人工的に築造された地形であることがわかってきた。丘には場所によって厚さ4m以上の盛土造成がなされたうえに、飛鳥宮跡に面した西側には、斜面全体に切石を積んだ石垣が四重にめぐっていたことが明らかになった。これらのことから酒船石とは単独の石造物ではなく、周囲の地形造成を含んだ巨大な遺跡の一部であることがわかり、一帯を現在は「酒船石遺跡」と呼んでいる。

ちなみに、酒船石が位置する丘の造成時期は出土土器から飛鳥時代(7世紀中頃)と推定されており、大化元年(645)の乙巳〈いっし〉の変(蘇我本宗家滅亡事件)で幕開けた大化改新の時期と重なっている。酒船石遺跡が建設された当時、宮殿の飛鳥宮から東を見ると、切石石垣が幾重にもめぐった人工の丘がはっきり目に映ったはずだろう。

実は、酒船石遺跡の衝撃はこれだけではない。この丘の北裾で出土した「亀形〈かめがた〉石造物」がさらなる驚きをもたらしたのだ。この石造物は亀のすがたを模しており、酒船石と同じ岩石(石英閃緑岩)から造形されている。この亀形石造物には取水設備も付属し、本来は「水槽」として使用されたらしい。酒船石遺跡一帯の造成事業と同じ7世紀中頃の築造と推定されることから、おそらく酒船石と亀形石造物は別個のものでなく一連の施設として築造・使用されたと考えてよいだろう。

ここで注目すべきは『日本書紀』斉明6年(660)の記事である。そこには「舟二百隻を以て、石上山の石を載みて、流〈みず〉の順〈まま〉に控ひ引き、宮の東の山に石を累〈かさ〉ねて垣とす」(船二百隻によって石上山の石を積んで、流れに沿ってそれを引き、宮殿の東の山に石を重ねて垣とした)と記され、酒船石遺跡で出土した四重の石垣を思わせる描写がなされている。記事の主人公は7世紀中頃の女帝「斉明〈さいめい〉」である。

改めて酒船石遺跡の性格を考えてみよう。史料を通じて大規模な国家的事業によって酒船石遺跡が建設されたことが理解されるし、斉明という女帝にとってそれほどまでして必要とした施設が酒船石、人工の丘、亀形石造物だったといえるだろう。大胆な推測が許されるならば、酒船石遺跡とは斉明女帝が主宰した国家的行事として、「水」を用いた神聖な儀礼の舞台として建設されたのではないだろうか。

酒船石遺跡が建設された時代。それはまさに、「天皇」という存在が歴史上で登場する時代にあたっている。古墳時代からの大王が飛鳥時代で天皇に移り変わるまさにその時代、特別な場所で特別な催しを実施する施設が必要とされたのかもしれない。あるいはもっと大胆に踏み込めば、酒船石遺跡での活動を通じて、大王は天皇に生まれ変わろうとしたのだと考えてみたい。斉明というひとりの高貴な女性が、聖なる水を用いて、この世を超えた存在へと生まれ変わろうとする情景が目に浮かぶ。

天皇という称号は今のところ、斉明の次世代(天武あるいは天智)に成立したとの解釈が有力である。一方で天皇という存在が成立する前段階に、それを用意する動きがすでに始まっていたと考えてもよいだろう。斉明女帝が生きた時代、それは天皇誕生に向けた胎動の時代だったのだろうか。酒船石遺跡の奇妙で謎めいた石造物たちを前にふと思った。

梅林秀行 〈うめばやし ひでゆき〉
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大学非常勤講師。
高低差をはじめ、まちなみや人びとの集合離散など、さまざまな視点からランドスケープを読み解く。「まちが居場所に」をモットーに、歩いていきたいと考えている。
NHKのテレビ番組『ブラタモリ』では節目の回をはじめ、関西を舞台にした回に多く出演。著書に『京都の凸凹を歩く』など。

(ノジュール2023年5月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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