河合 敦の日本史の新常識 第34回
ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。
江戸幕府の影の立役者!?
家康を救った「天正大地震」
イラスト:太田大輔
ちょうど今年、関東大震災から百年となるが、最近は列島各地で続けざまに地震が起こっており、何となく不安な気持ちになる。残念ながら我が国は地震大国で、これまでたびたび大きな被害をこうむってきた。時には地震が歴史を変えてしまうこともあった。
天正十三年11月29日に発生した天正大地震が、まさにそうだった。
これより約二年前の天正十二年、徳川家康は羽柴秀吉と戦っている。秀吉は織田信長の仇である明智光秀を討ち、大坂城を築き始めるなど大きな力を持ち始めた。信長の次男・織田信雄はそんな秀吉と対立し、家康に助けを求めてきたのでこれに応じ、秀吉と対陣した。世に言う小牧・長久手の戦いだ。長久手の局地戦で家康は秀吉の別働隊に勝利したものの、秀吉の圧迫に耐えかねた信雄が単独講和をしてしまい、戦う名分を失って兵を引いた。
その後、秀吉は紀州や四国を平定、朝廷から従一位関白に叙されて豊臣政権を樹立。さらに越中を領する佐々成政をしたがえ、信雄も秀吉に臣従するようになった。
一方の家康は、自分を裏切った上田城主の真田昌幸を倒すべく兵を送ったが、逆に完敗してしまう。その三カ月後、今度は岡崎城代の石川数正が出奔し、秀吉のもとに走った。数正は徳川一の功臣だったので、家康の動揺は激しかった。これより前、秀吉は家康に「徳川の重臣たちからも人質を差し出せ」と服属を迫ってきた。数正は秀吉に従うべきだと主張したが、他の家臣たちが拒否したので、嫌気が差して徳川家から去ったらしい。
秀吉はこれを千載一遇の機会ととらえ、数正が出奔した6日後、真田昌幸に「来年正月を期して徳川征伐をおこなう」と記した書状を送っている。もし遠征が実行されていたら、家康は秀吉に滅ぼされたていた可能性が高い。ところが、徳川征伐は実施されなかったのだ。
それは、秀吉が昌幸に征伐を宣言したわずか十日後の天正十三年11月29日、現在の中部・近畿地方にまたがる巨大地震が発生したからである。そう天正大地震だ。
イエズス会宣教師のルイス・フロイスは、この地震について、「堺と都からその周辺一帯にかけて、きわめて異常で恐るべき地震が起った。それはかつて人々が見聞したことがなく、往時の史書にも読まれたことのないほど(すさまじいもの)であった。というのは、日本の諸国でしばしば大地震が生じることはさして珍しいことではないが、本年の地震は桁はずれて大きく、人々に恐怖と驚愕を与えた」(松田毅一・川崎桃太訳『日本史5五畿内篇Ⅱ』中央公論社1978年)と揺れの激しさを強調している。
このとき徳川方の岡崎城も被害を受けたが、最大の被災地は隣接する織田信雄の領地だった。徳川攻めの先鋒には、織田軍が予定されていた。ところが信雄の居城・長島城は倒壊し、清洲城に移らなくてはならないほどだった。また、遠征のために食糧などを備蓄していた美濃の大垣城が全壊してしまった。このほか豊臣方としては、近江国の長浜城も全壊し、城主山内一豊の娘が亡くなっている。さらに若狭で津波が起こったり、飛騨国の帰雲城が大規模な山崩れによって城下ごと飲み込まれたりして、城主の内ケ島氏をはじめ領民すべてが犠牲になってしまった。
地震のとき秀吉は、琵琶湖のほとりの近江国坂本城にいた。ルイス・フロイスの記録によれば、地震が起こると秀吉は一切のことを投げだし、あわてて馬に乗り、大坂城に避難したという。こうした状況を無視して遠征を強行することは、さすがの秀吉もできなかったのである。
とくに徳川征伐を避けたい信雄は、積極的に豊臣と徳川の仲介役を果たし、翌天正十四年正月、岡崎城に出向いて家康と会見し、正式に戦争回避のための停戦協定を成立させた。
だが、それからも家康は秀吉に臣従せず、同年3月には小田原城の北条氏政とたびたび会って結束を固めた。しかし翌4月、にわかに状況が変化する。なんと家康は、正妻として秀吉の妹・朝日姫を迎え入れることにしたのである。秀吉は大きく方針を転換し、徳川を攻め滅ぼすのではなく、親族を人質に差し出して懐柔し、家康を臣従させることにしたのだ。さらに同年秋には、朝日姫の病気見舞いと称して、秀吉は生母の大政所を遣わしてきた。ここにおいてさすがに家康も、秀吉への臣従を決意、同年10月、大坂城で秀吉に謁見したのである。
いずれにせよ、もし地震が起こらず、秀吉が徳川征伐を断行していたら、ひょっとしたら江戸時代は存在しなかったかもしれないのである。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。
早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に著書に『日本史の裏側』(扶桑社新書)『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)