河合 敦の日本史の新常識 第35回
ノジュール読者世代が「歴史」を教科書で学んだ時代から、はや数十年。
じつは歴史の教科書は、新事実や新解釈をもとに定期的に改訂されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
〝新しい日本史〟の〝新しい常識〟について、歴史家・河合敦さんが解説します。
世界最古の長編小説
『源氏物語』の作者 紫式部の生涯
イラスト:太田大輔
来年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公は、『源氏物語』の作者・紫式部だ。
紫式部は、一条天皇の中宮(皇后)彰子の女房である。女房とは、貴族に仕える比較的身分の高い女性のことで、主人の教育係でもあった。
彰子の父・藤原道長は、彰子を一条天皇の中宮(皇后)とし、さらに妍子〈けんこ〉を三条天皇の皇后に、そして次に彰子が産んだ子(後の後一条天皇)に威子〈いし〉を輿入れさせた。一家三后を実現するのは、前代未聞のことだった。
紫式部は、貴族の藤原為時〈ためとき〉の娘として、安和三年(970)から天延元年(973)ぐらいの間に誕生したといわれるが、その生涯はあまり詳しくわかっていない。名も本名ではなく、紫式部の「紫」は、『源氏物語』に登場する「紫の上」から来ているらしい。「式部」というのは、父の為時が式部省の役人「式部丞〈しきぶのじょう〉」だった(異説あり)ので、その官職(役職)名からとったとされる。
式部はどうやら母を幼くして失い、尊敬していた姉も少女時代に病死してしまい、父子家庭で育ったようだ。弟(兄の説もあり)に惟規〈のぶのり〉という人がいる。父の為時は、跡継ぎである惟規の勉強を教えたが、側で聞いていた紫式部のほうがよく覚えてしまうので、「この子が跡継ぎだったら」と残念がったという逸話が残る。
理由は不明ながら、紫式部は二十代後半になってもまだ独身で、父の為時が長徳二年(九九六)に越前守として現地へ赴任した際も現地に同行している。しかし二年後、藤原宣孝から手紙で求婚されて都に戻ることになる。すでに宣孝は四十代半ばで、別の女性との間に生まれた二十代半ばの息子もいたという。
結婚した翌年、式部は娘の賢子を産んだが、しばらくすると、夫の宣孝が感染症で急死してしまい、結婚生活はわずか二年間で終止符を打つことになった。一説には、その悲しみや憂さを晴らすため、紫式部は『源氏物語』を書き始めたのだという。
その内容があまりにすばらしいので、人びとの間で噂になった。これを聞きつけた藤原道長が、紫式部を招いて娘の彰子に仕えさせることにしたといわれている。
『源氏物語』の文字数はおよそ百万字である。四百字詰の原稿用紙でいうと、なんと2400枚ほどにもなる。光源氏とその子・薫を主人公とし、七十年におよぶ恋愛を中心とする壮大な内容で、最高の文学作品の一つだと高く評価されている。
歴史学の分野でも、『源氏物語』が存在するお陰で、当時の平安貴族たちがどんな生活を送っていたか、どんな考え方を持っていたのかを詳しく知ることができる。しかも、世界最古といえる長編小説であり、世界史的にみても高い価値がある。ちなみに、『源氏物語』に引けを取らない当時の傑作が『枕草子』であろう。同書は、日ごろ感じたことや昔の思い出、創作した話をつづったもので、今でいうと随筆やエッセーのような読み物である。作者はやはり女房の清少納言である。
清少納言の主人は、一条天皇の中宮(皇后)定子(藤原伊周の妹)だった。彼女は、宮廷で定子の世話や話相手をするとともに教育係でもあったといわれている。
清少納言は和歌が得意なうえ、漢学(中国の学問)にも詳しく、頭の回転が速くて相手の問いかけにすぐにユーモアや気の利いた言葉を返し、その場にぴったりな見事な歌を詠み上げた。だから宮中の評判は極めて高かった。
それが紫式部には面白くなかったようで、清少納言については「たいしたことがないのに利口ぶっている」と悪口を言っている。
ただ、よく紫式部と清少納言はライバルだといわれるが、紫式部が宮仕えしたときにはもう清少納言は引退しており、二人が宮中で顔を合わせることはなかった。
さて、紫式部も彰子に信頼された。紫式部は、寛弘五年(1008)秋から寛弘七年(1010)正月まで日記を記している。これを『紫式部日記』と呼ぶが、主人として仕えた彰子が皇子を出産する記録が詳しく書かれているとともに、道長と和歌のやりとりをしたこと、さらに和泉式部など同僚で有名な歌人たちのことなども書かれており、宮廷の様子を知るうえでとても貴重な記録になっている。
だが、しばらくして紫式部は退職してしまう。その理由はわからないが、数年後に呼び戻され、再び彰子に仕えた。ただし、晩年はどのように暮らし、いつ亡くなったのかはよくわかっていない。来年の大河ドラマは、そんな紫式部とその周辺をどのように描くのだろうか。いまから楽しみである。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)『幕末・明治 偉人たちの「定年後」』(扶桑社)