河合 敦の日本史の新常識 第37回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

秀吉は有馬温泉がお気に入りだった!?

戦国大名も愛した日本の温泉


イラスト:太田大輔

いよいよ秋、温泉が恋しくなる季節だ。温泉旅行を計画しているノジュール読者も少なくないはず。温泉という言葉は、奈良時代の『出雲国風土記』に初めて現れる。温泉地としては、道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)が『日本書紀』などにも登場し、日本三古湯と呼ばれ、昔から日本人に親しまれてきた。特に京都からの利便性の高い有馬温泉は、藤原道長、後白河法皇〈ごしらかわほうおう〉、足利義満など皇族や貴族、将軍たちに人気だった。

そんな有馬温泉をこよなく愛したのが豊臣秀吉である。記録に残っているだけで九回は湯治に来ている。余程気に入ったのか、有馬温泉を直轄地とし、六十五軒の民家を強制的に撤去して自分専用の入浴施設「湯山御殿」を建設するほどだった。

極楽寺(神戸市北区有馬町)の発掘調査で、そんな湯山御殿跡の全貌が明らかになっている。建物には大坂城と同じ瓦を使っていて、半地下形式の石を敷き詰めた蒸し風呂や深さ65㎝の岩風呂(湯船)が出土した。軽石も見つかっているので、これで身体を擦って垢を落としたのだろう。風呂の底には人の髪や体毛が残っており、ひょっとすると秀吉本人のモノかもしれない。

秀吉は目を患ったり咳に苦しんだりと、体調不良の際に有馬へ出向いているが、一方で、千利休らと何度も温泉で茶会を開いた記録がある。遺跡からは小さな滝がある庭園跡や碁石や茶碗も多く見つかっているので、きっと湯治目的だけでなく、温泉地で茶を喫したり碁を打ったりしながら、のんびり湯に浸かって過ごすことも多かったのだろう。

秀吉お気に入りの湯山御殿は、慶長の大地震で完全に倒壊してしまう。そこで秀吉はただちに再建に取りかかり、二年後の慶長三年(1598)に落成した。だが、秀吉はその新御殿に一度も宿泊することはなかった。同年五月に有馬への湯治予定を立てていたが、病が重くなり、八月に亡くなってしまったからだ。

秀吉以外にも、戦国大名で温泉を好んだ武将は少なくない。有名なのは武田信玄だろう。領内のあちこちに隠し湯を持ち、合戦で負傷した将兵を湯治させたといわれている。ただ、隠し湯という名の通り公にできないので、伝承しか残っていない温泉が多い。そうした中で湯村温泉(志摩の湯)は、信玄や息子の勝頼が湯治したことが『甲陽軍鑑〈こうようぐんかん〉』に記載されている。有名な草津温泉(群馬県)も信玄の支配下に入ったが、永禄十年(1567)、信玄は三カ月間、一般の湯治客の入湯を禁じている。当時、武田軍は上野国へ侵攻しており、戦で多くの兵が傷ついたので、彼らを回復させるため草津温泉を独占したのだと考えられている。草津の湯は殺菌作用が強く、戦傷に効果があったからだが、一般客にはいい迷惑だ。

実は秀吉も文禄四年(1595)に草津への湯治を企画している。すでに草津は温泉地として有名で、天正十年(1582)に武田氏を滅ぼした織田家の重臣の丹羽長秀〈にわながひで〉や堀秀政が同地を訪れている。天正十六年(1588)には、羽柴秀次〈はしばひでつぐ〉もやって来ている。きっと秀吉は、甥の秀次から噂を聞いたのだろう。文禄四年正月三日、信濃・甲斐・上野三国の武将たちに御座所(秀吉の滞在施設)の建設を命じ、諸大名に草津までの交通の警護を命じる触れを出した。かなり大人数で出かけるつもりだったらしい。しかし結局、秀吉が草津へ赴くことはなかった。理由はわからない。この年、秀次の謀反計画が発覚しており、そうした政情不安も関係しているのかもしれない。

徳川家康は草津には行かなかったが、秀吉に勧められて草津の湯を江戸城に運ばせたといわれている。そんな家康が大好きだったのは、熱海の温泉だった。

慶長二年(1597)にはお忍びで熱海に滞在し、慶長九年(1604)には息子の義直と頼宣を伴い、七日間ほど熱海に逗留した。大名の吉川広家が病んだ際、熱海の湯をわざわざ彼の所まで運ばせている。

家康を敬愛する孫の家光(三代将軍)は、熱海に立派な将軍専用の御殿をつくらせた。ただ、事情は不明ながら当人が赴くことはなかった。四代・家綱の時代になると、人足たちに熱海の湯を江戸城へ運ばせる「御汲湯〈おくみゆ〉」という慣行が始まった。しかも熱海だけでなく、有馬や草津からも運送させるようになったのである。そうした湯に入った将軍の感想は、記録として残っていないが、かなり味気ないものだったのではなかろうか。

やはり温泉は、直接現地を訪れ、美しい景色を見て、おいしい料理を食べ、ゆったり湯船に浸かるから良いのであり、それこそが、湯治(温泉旅行)の醍醐味だと思うのだ。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『号外!日本史スクープ砲』出演のほか、著書に『殿様を襲った「明治」の大事件』(扶桑社)、『30分でまるっとわかる!なるほど徳川家康』(永岡書店)『幕末・明治 偉人たちの「定年後」』(扶桑社)

(ノジュール2023年10月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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