河合 敦の日本史の新常識 第46回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

背筋も凍る江戸時代の怪談話

個性豊かな妖怪が登場する
甲子夜話


イラスト:太田大輔

日本の夏は湿度が高く、蒸し蒸しとして過ごしにくい。江戸時代の人々はクーラーや扇風機もないから、快適に過ごせるよう、打水、花火、風鈴、川涼みなど、さまざまな工夫を凝らした。落語の怪談話を聞くのもその一つだった。今回は、江戸時代に残る不思議な怪談の記録を紹介しよう。

元肥前平戸〈ひぜんひらど〉藩主の松浦静山〈まつらせいざん〉は、20年にわたって最晩年まで随筆を書き続けた。それが『甲子夜話〈かっしやわ〉』(正篇100巻、続篇100巻、第3篇78巻)だが、そのなかに少年のころに聞いた奇妙な話が載っている。

江戸の芝高輪〈しばたかなわ〉の片町に、貧しい医者がいた。あるとき身なりのよい武士が訪れ、「家人が病になったので往診に来てほしい」と頼んできた。けれど医者は武士に「治療に自信がないのでほかを当たってほしい」と断ってしまう。偉い侍を前に臆したのだろう。

夫が困っているのを見かねた医者の妻は、「うちには挟み箱(着替え用の服を入れる箱)を持つ従者さえいないのです」と断ったが、「ならば私の従者に持たせればよい」と言い、結局、強引に医者を駕籠〈かご〉に乗せて連れ去ってしまった。

やがて駕籠がとまり、「出たまえ」と声がしたので、医者が戸を開けてみると、立派な武家屋敷の玄関前だった。しかも、数人の武士たちが迎えに出てきて、丁重に屋内へ案内された。いくつもの部屋を通り抜け、奥の書院に通され、それからは長い間、待たされ続けた。何の音沙汰もないのでさすがに心配になり、お暇しようかと思ったとき、向こうから7、8歳の小坊主が茶台を捧げながら近づいてきた。

が、よく見たら、なんと目がひとつしかないのだ。

ひとつ目小僧に医者は仰天し、恐怖におののいていると、まもなくして今度は巨人が煙草盆〈たばこぼん〉を運んできた。どう見積もっても2m以上はあり、しかも角髪〈みずら〉姿だった。とても普通の人間とは思えない。「ここは、化け物屋敷だ!大変なことになった」そう驚愕した医者は、すぐに屋敷から逃げ出すことを考えたが、そもそも、どこをどう通ったら外に出られるかわからない。あたふたしていると、今後は遙か向こうで十二単〈じゅうにひとえ〉姿の容姿端麗な女性がジッとこちらを見ていることに気がついた。まるで、神様や天女のようだ。

医者は「あれが化け物屋敷の主に違いない」と確信、「もしあの女が近づいてきたら、俺はもう終わりだ」と恐怖を覚えたが、幸いこちらにその女が近づいて来ることはなかった。

安堵しているとまもなく、正装をした武士が現れ、「お待ちどおさま。案内をいたします」とうながしてきた。あまりの恐ろしさに逃げるのを観念してそのまま付いていったところ、案内人がある部屋の前で立ち止まり、「こちらが病室です」と襖を開いた。すると、なんと、中で豪勢な酒宴が開かれているではないか。

医者が広間に入ると、客の1人が「さあ、まずは一献」と杯を医者に差し出してきた。警戒して最初は断ったが、無理やり杯を持たされたので、仕方なくひと口飲んだ。やがて美しい芸妓〈げいぎ〉たちが来てお酌をしてくれ、すばらしい歌や踊りがあり、ついつい飲み過ぎ、医者は泥酔して意識を失ってしまった。

一方、医者の妻は、心配のあまり寝ないで夫の帰りを待っていたが、明け方、戸をたたく音がする。そこで戸を開けると、なんと目の前に赤鬼と青鬼が駕籠を担いで立っていた。

肝をつぶした妻は、あわてて戸を閉めて屋内の奥に逃げたが、さすがに夫を見捨てることもできず、戸の隙間からそっと外の様子をうかがうと、もう鬼はおらず、駕籠だけがポツンと置かれていた。やがて夜が白々と明け始めたので、勇気を振り絞って駕籠の戸を開けてみたところ、夫が素っ裸で横たわっていた。「死んでいるのか」と思い、様子をうかがったところ、熟睡していびきをかいている。妻はあきれながら、傍らの風呂敷包みを開いてみると、夫が着ていた服のほか、新しい服や襦袢〈じゅばん〉、紙入れなどが入っていたのである。『甲子夜話』によれば、実はこれ、元松江藩主の松平宗衍〈むねのぶ〉が退屈しのぎに企画したイタズラだったのだという。宗衍は大の妖怪好きで、絵師の狩野梅笑〈ばいしょう〉に屋敷の1室に天井にまでびっしりと化け物の絵を描かせるほどだった。

ちなみに2mの巨人は、力士の釈迦ヶ嶽雲右衛門〈しゃかがたけくもえもん〉が演じたという。実際に身長が2m20㎝を超える長身で、宗衍の松江藩お抱えの力士だった。出雲の紺屋〈こうや〉の息子として生まれたが、大きすぎて駕籠に乗れなかったとか、群衆の中で腰から上が見えていたという逸話がある。「釈迦ヶ嶽 二階から目へさし薬」といった川柳も残るほどだ。

このたわいもないイタズラのために、松平宗衍は相当な金を使ったはずだ。文字通り、くだらない大名遊びといえようか。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。
多摩大学客員教授。早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『平安の文豪』(ポプラ新書)

(ノジュール2024年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

ご注文はこちら