東西高低差を歩く 第57回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

京都・一口

巨椋池干拓地に浮かぶ
旧漁村集落


イラスト:牧野伊三夫

昭和16年(1941)の干拓事業によってすがたを消した巨椋池〈おぐらいけ〉は、京都府南部に位置して、近畿地方では琵琶湖に次いで2位の面積(約8㎢)を占めた淡水湖だった。

この巨椋池の湖上に、干拓前には大規模な漁村集落が存在していた。それは一口〈いもあらい〉という難読地名の集落で、かつては巨椋池の湖面に囲まれていたが、今は周囲に水田が広がるなか、島状の微高地上に家屋が集まっており、干拓前の風景を思わせる特徴的な景観となっている。

ちなみに一口という奇妙な地名であるが、由来はよくわからない。しかし呼称に着目すると芋洗坂〈いもあらいざか〉(東京都港区)や芋洗地蔵(奈良県橿原市)など、各地に同種の地名が点在しており、「いも」とよばれた疱瘡〈ほうそう〉(天然痘)を洗い清めるという信仰と関わりがありそうで、感染症の病魔退散を意識したものとも考えられよう。

一方で一口という漢字表記だが、これは近世以降に限定されるようだ。江戸時代後期(19世紀)の史料には、「三方は沼にて一方より入口あり、これに依りひとくち村と記す」(下線引用者、以下同じ)と地名の由来が語られている。おそらく、まず「いもあらい」という呼称の地名が先に成立し、それが近世以降に「一口」の表記を地理環境の特徴を踏まえて採用したのだろう。ここで改めて、近世以前の中世史料を読むと、地名呼称とはまた違った一口地域の特徴が浮かび上がる。

平安時代後期の世情を描いた『平家物語』では、宇治平等院に布陣した源頼政を攻める平氏方の軍議に「いもあらい」の地名が登場している。「橋の上のいくさ、手いたう候。今は河を渡すべきで候が、をりふし五月雨の頃で、水まさって候。渡さば馬人多く失せ候ひなんず。淀・いもあらいへや向かひ候べき」(宇治橋の上の戦いは手強いようです。今は渡河して戦うべきですが、ちょうど季節が梅雨の頃で水量が増えております。もし無理に渡河すれば馬や人を数多く失ってしまうでしょう。淀・いもあらいの方面に迂回しましょうか)

また、室町時代後期の『大乗院寺社雑事記〈だいじょういんじしゃぞうじき〉』には、応仁の乱の戦況を報じるなかで「芋洗」が登場する。「宇治・芋洗・淀各橋引之。(中略)宇治事〈ことのほか〉外通路厳蜜〈げんみつ〉也云々」(宇治・芋洗・淀の各橋が撤去された。(中略)宇治方面はとりわけ道路の様子が厳重らしい)

これらの史料から、一口(芋洗)が中世において宇治・淀の両地域とセットで認識されていた状況を見て取れるだろう。そしてこの点にこそ、一口さらには巨椋池が担った京都の外港としての役割を想定できるのだ。

平城京や平安京など、日本列島の内陸部に立地した古代日本の宮都は、対外交渉や国内流通を担う大規模港湾が近接できず、奈良にとっての難波津〈なにわのつ〉(大阪市)のように宮都の外部に港湾施設を用意するほかなかった。同じく内陸部の京都にとっても外港は必要であり、それを担った地域が京都盆地南部に広がる巨椋池だったのである。巨椋池を囲むように立地した宇治と淀、そして一口が並んで特記される理由もこれで理解できるだろう。京都の外港機能を担う巨椋池地域の一角として、一口は重要な交通拠点だったのだ。

このような一口の歴史的な性格は、住民の生業にも生かされることになり、淡水魚を捕獲し、周辺地域に流通させる漁村として大いに栄えていった。今も一口の集落中心部には、江戸時代に周辺十三ヶ村を統括した大庄屋の屋敷(旧山田家住宅)が保存公開されている。

巨椋池干拓によって漁業から農業に生業を変更した一口だが、現地の景観にはしっかり漁村時代の名残が残る。

農村が各家に作業場を設けるのに対して、漁村は各家の敷地内に作業場を設けず、集落の共有スペースで共同作業をする例が多い。結果、各家が個別に作業場をもたない漁村の景観は、農村に比べてすきまの少ない、高密度のものとなりやすく、一口も巨椋池干拓後は農家主体でありながら景観上は旧漁村ならではの密集形態となっている。そしてなにより、あたかも湖上に浮かぶような、微高地上の集落のたたずまいがすばらしい。一口の旧漁村景観から、今はなき巨椋池の歴史的意義を感じてみよう。

梅林秀行 〈うめばやし ひでゆき〉
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大学非常勤講師。
高低差をはじめ、まちなみや人びとの集合離散など、さまざまな視点からランドスケープを読み解く。「まちが居場所に」をモットーに、歩いていきたいと考えている。
NHKのテレビ番組『ブラタモリ』では節目の回をはじめ、関西を舞台にした回に多く出演。著書に『京都の凸凹を歩く』など。

(ノジュール2024年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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