東西高低差を歩く 第58回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

不忍池

江戸先住民の水利施設
という仮説


イラスト:牧野伊三夫

都心にあって水辺の風情を楽しめる不忍池〈しのばずのいけ〉。都内を流れる河川の多くが洪水対策のために深く掘り下げられているのとは対照的に、穏やかな水面は触れられるほど近く、親水性豊かな池畔は都民にとってかけがえのない憩いの場となっている。周囲約2㎞の丸い池は、縄文海進(縄文時代、温暖化により起きた海面上昇)のときに入海がこの辺りまであった名残ともされ、地理的には上野台地と本郷台地にはさまれた谷地で、北から流れてきた藍染川〈あいぞめがわ〉が注ぎ、池の反対側から忍川〈しのぶかわ〉が流れ出ていた。注意深く土地の高低差を観察すると、不忍池の南側には微高地が存在し、現在は商店が連なる仲町通りとなっている。道路の中央が台東区と文京区の区境となっているため、通りに面して、「湯島白梅商店会」と「池之端仲町商店会」の異なる商店会が向かい合う。この微高地は、奥東京湾を成していた入海が後退していく途次に形成された「砂州」とされるのが通説である。

不忍池という名称の由来は諸説あるが、上野の丘はかつて木々が生い茂って見通すことができないため「忍岡」とよばれ、対照的に隣にある大きな池は見通しがきき、隠れていないので「不忍」池となったらしい。

池の中央にある中島に立つ辨天堂〈べんてんどう〉は、琵琶湖の竹生島〈ちくぶしま〉を模して造られたもので、不忍池は京都にとっての琵琶湖に見立てられたわけだ。そんなグランドデザインを描いたのは徳川家康の帰依を得た僧・天海。彼の具申によって上野台地に寛永寺が開かれたのは江戸城の鬼門封じとされ、京都御所にとっての比叡山延暦寺と同じ関係構図を描いたわけだ。そして、寛永寺の山号は「東の比叡山」を意味する東叡山と命名された。

不忍池は江戸時代から景勝地として親しまれ、清水観音堂からの絶景は歌川広重の浮世絵『江戸名所百景』でも描かれている。明治になると西洋文明の発信地として脚光を浴びることとなる。まず明治8年(1875)に公園地に編入されると、池の北側一部を埋め立て、競馬の会場に利用できるよう、今見る丸い池に整備された。競馬は明治17年(1884)から25年までの間、24回開催されたという。明治40年(1907)に開催された東京勧業博覧会では、第2会場として陳列館が池の周囲に立ち並んだ。そして大正3年(1914)の東京大正博覧会の際には、池の上を渡るケーブルカーが人気を博し、遊園地のような光景が広がっていたという。けれども戦時中には食糧難から池の水を抜いて水田に利用され、戦後になって荒廃した池は、埋め立てて野球場にする計画もあった。結果、世論を巻き込んでの大きな論争となり、反対運動によって江戸時代以来の名所は守られ、現在に至る。

そんな変遷を経た不忍池であるが、その成り立ちに関しては冒頭で「入海の名残」と紹介した。けれども、個人的には「いにしえの水の記憶」が近世まで残っているものだろうか? という疑問を抱いていた。そこで歴史学考古学者の谷口榮〈たにぐちさかえ〉氏に疑問を打ち明けたところ、驚きの見解が返ってきた。それは「不忍池は水田を支える灌漑用の溜池だろう」というもの。いきなりの人工説に歓喜を隠せなかったが、ここでは自分なりの別の仮説を紹介したい。

先に取り上げた微高地が溜池用のダム(人工の構造物)と解釈する点は谷口氏と同じだが、溜池の目的については異なる仮説を抱いている。その仮説とは「中世に存在した集落の生活用水を確保するため」というもの。そしてその集落こそ「江戸」だと推測している。

ちなみに江戸とよばれたのは日本橋波蝕台地の微高地に立地する、現在の神田や日本橋辺りだと考えられている。真水が得にくい臨海集落・江戸に、川の水を届ける上水施設として小石川上水の記事を昨年の12月号に寄せたが、広域な地形を眺めてみると、用水として利用可能な水系は、小石川(谷端川〈やばたがわ〉)のほかにも藍染川があることがすぐに分かる。距離的に江戸に近いのは藍染川、だから江戸の先住民たちが藍染川の水を堰き上げて江戸に届ける用水路を築くだろうとする仮説もあり得るのではないか。江戸の人工増加に伴い、水量の乏しい藍染川ダム湖(不忍池)では水需要を賄えなくなり、小石川用水の開発が江戸の存続に必須となった。江戸市民が切望した上水道開発、その政策を施した政治家こそ徳川家康なのである。

皆川典久 〈みながわ のりひさ〉
東京スリバチ学会会長。
地形を手掛かりに町の歴史を解き明かす専門家として『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』に出演。
著書に『東京「スリバチ」地形散歩』(宝島社)や『東京スリバチの達人/分水嶺東京北部編・南部編』(昭文社)などがある。2022年にはイースト新書Qより『東京スリバチ街歩き』を刊行。
専門は建築設計・インテリア設計。

(ノジュール2024年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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