東西高低差を歩く 第59回

地形に着目すれば、土地の歴史が見えてくる。
“高低差”の達人が紐解く、知られざる町のストーリー。
関東は皆川典久さん、関西は梅林秀行さんが交互にご案内します。

源氏物語「夕顔」

鴨川を渡る光源氏


イラスト:牧野伊三夫

光源氏は危機の中にいた。逢瀬に向かった「なにがしの院」(何々のお屋敷)で、恋人の夕顔が物怪〈もののけ〉に取り殺されてしまったのだ。思えば夕顔は、光源氏にとって身分や年齢といった立場を超えて、素直に心を通じ合わせることのできた初めての相手だった。そんな大切な人が、突然息を引き取るなんて……。

誰もが知る古典文学作品の『源氏物語』であるが、若者らしい恋模様を描くことにおいて屈指の一篇が「夕顔」の巻である。しかし光源氏の恋は、物の怪の登場によって突如終わる。

恋人を喪った光源氏の衝撃はいかほどだったろうか。平安時代の人にとって、死にふれる機会は触穢〈しょくえ〉としてあるまじき禁忌であり、それはさらに政敵からの攻撃材料にもなり得るものだった。光源氏は単に恋人を失っただけでなく、彼の政治生命も脅かされる状況に陥ったのだ。悲嘆と後悔が心を覆う中、若き光源氏は狼狽〈ろうばい〉を隠せずにいた。

しかし、落ち着きを取り戻した光源氏は、恋人の遺骸を放っておくこともできず、従者とともに、亡き夕顔を抱えて平安京から鴨川を渡り、葬送の地に向かう。

ただし平安時代には、鴨川は現代のような清流ではなかった。そこは、何千人分もの遺骸が放置された死者の世界であり(『続日本後紀』承和9年(842)10月14日条)、また後の時代には、極楽往生の予行演習的な野外劇である「迎講〈むかえこう〉」が開催される場所でもあった(『水左記〈すいさき〉』承暦4年(1180)10月8日条)。

鴨川とは光源氏にとって単に自然環境ではなく、生・死や聖・俗の境界を意味するものであり、そこを渡ることは非日常の世界に足を踏み入れることでもあったろう。

道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆〈さき〉の火もほのかなるに、鳥辺野〈とりべの〉の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも何ともおぼえたまはず、かき乱る心地したまひておはし着きぬ。(道は遠く感じられた。十七日の月がさし昇って、鴨川の河原のあたりでは、先払いの火もかすかだし、鳥辺野の方などを遠くごらんになったときなど、不気味な感じだが、今は恐いともお思いにならず、ただ胸をかきむしられるようなお気持でお着きになった)

平安京から鴨川を渡った先には、平安京東郊の共同墓地である「鳥辺野」が広がっていた。光源氏はそこに夕顔を葬ろうとする。

あたりさへすごきに、板屋のかたはらに堂建てて行へる尼の住まひいとあはれなり。御灯明〈みあかし〉の影ほのかに透〈す〉きて見ゆ。(中略) 外〈と〉の方〈かた〉に法師ばらの二三人物語しつつ、わざとの声立てぬ念仏ぞする。寺々の初夜〈そや〉もみな行ひはてていとしめやかなり。(あたりの様子までぞっとするような感じであるが、板屋のそばにお堂を建てて修行をしている尼の住いはいかにもしみじみとした寂しさである。お堂の灯明の光がかすかに透けて見える。(中略)外の方には僧侶たちが二、三人言葉をかわしたりして、ことさらに無言の念仏を行っている。付近の寺の初夜の勤行もみな終わって、まことに静まりかえっている)

鳥辺野を描く筆致は、ことに細やかである。物語の作者・紫式部の実体験に基づくのであろうか、人々の哀悼〈あいとう〉がその場を埋めるように、平安時代の死者のための葬送の場が浮かび上がってくる。そのようなとき、ふと光源氏のまなざしに映るものがあった。

清水〈きよみず〉の方か たぞ光多く見え、人のけはひもしげかりける。この尼君の子なる大徳〈だいとこ〉の声尊くて経うち読みたるに、涙の残りなく思さる。(清水寺の方角には灯がたくさん見えて、人もしきりに行き来している様子であった。この尼君の子である大徳が尊い声でお経を読んでいるのにも、涙が絞りつくすようなお気持ちになられる)

奇しくも、夕顔を鳥辺野に葬った8月17日の夜は、毎月18日の観音縁日の前夜であり、一大観音聖地である清水寺に向かって夜間に参詣する人々と、彼らが携えた灯火の列がそこに見えたのだ。

ここで物語は、恋人を喪った光源氏の救済を暗示して幕が閉じられる。夕顔の遺骸とともに鴨川を越え、鳥辺野で葬儀を行いながら、観音の光に照らされた光源氏は、何を思ったのだろうか。このようにして、若者の恋は終わった。

梅林秀行 〈うめばやし ひでゆき〉
京都高低差崖会崖長。京都ノートルダム女子大学非常勤講師。
高低差をはじめ、まちなみや人びとの集合離散など、さまざまな視点からランドスケープを読み解く。「まちが居場所に」をモットーに、歩いていきたいと考えている。
NHKのテレビ番組『ブラタモリ』では節目の回をはじめ、関西を舞台にした回に多く出演。著書に『京都の凸凹を歩く』など。

(ノジュール2024年8月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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