河合 敦の日本史の新常識 第66回

かつて教科書で学んだ歴史は、新事実や新解釈をもとに定期的に改定されていて、むかし覚えた常識が、いまや非常識になっていることも少なくありません。
日進月歩の研究によって解明される〝新しい日本史〟や〝知られざる新常識〟について、歴史研究家・河合敦さんが解説します。

歴史は変わる

新説が教科書に載るまで


イラスト:太田大輔

この連載では、教科書の内容が変わった事例をたびたび取りあげてきたが、今回はどのように新説が教科書に反映されるのかを紹介していこう。

歴史研究者は研究テーマを定めたら、関係する先行研究を徹底的に調べ、同時にテーマに沿う一次史料(当事者の日記、手紙、公文書など)を可能な限り集めていく。こうして先行研究を把握し史料の収集を終えたら、それらをもとに新たな論や仮説を立てて論稿にまとめ、学会で報告や発表を行う。参加者からは疑義や批判が出るので、それを受けて内容の見直し・修正作業を行う。完成した論文は、査読のある学会誌などに投稿する。こうした過程を経て専門誌に論文が載り、それがほかの研究者に肯定されたり、引用されたりする数が多くなれば、学会で通説(定説)になったといえる。そして、その論文が日本史の重要事項であれば、教科書に反映されるという仕組みだ。

教科書は民間の出版社が作成するが、おおむね4年に1度の教科書検定をパスしないと、学校で使用できない。改訂時、各社は旧説を通説(新説)に置き換え、文部科学省に教科書として申請する。申請図書は、教科書調査官や教科用図書検定調査審議会が審査をする。最終的には審議会が結果を文科省に答申し、大臣が検定の合否を決める。ただ、審議会が合否を留保し、出版社に検定意見を通知することが多い。意見が付いた箇所は、出版社が検討・修正して再提出。その後、合否が決まる。では、新しい通説(新説)が旧説に代わった例を紹介しよう。

織田信長に関する「天下」の解釈である。信長は美濃国を制したころから「天下布武」の印判を用いる。これは全国を武力で平定する意味だとされてきた。ところが神田千里(「中世末の「天下」について」『武田氏研究 四二』2010年より)は、「天下」とは日本全国ではなく畿内のことであり、信長の「天下布武」は畿内での将軍政治の復活を目指したものという新説を唱えた。これが多くの研究者の賛意を得、通説となったわけだが、それに伴って教科書の記述も変化していった。

2012年発行の『改訂版 詳説日本史B』(山川出版社)には、信長は「美濃の斉藤氏を滅ぼして岐阜城に移ると、『天下布武』の印判を使用して天下を武力によって治める意志を明らかにした」とあり、新説は反映されていない。ところが2017年発行の『改訂版 詳説日本史B』は、脚注に「当時の『天下』には、世界・全国という意味のほか、畿内を指す用法もあった。信長の用いた『天下』を後者の意とみる説もある」と新説が登場した。そして2023年発行の『詳説日本史 日本史探究』の本文は、「美濃の斉藤氏を追い払って岐阜に本拠を移し『天下布武』の印章を用いはじめた」とあり、「天下を武力によって統一する」という文言が消えた。しかも側注には「この場合の『天下』は、将軍の支配がおよぶ畿内やそこでの政治秩序を意味していた」と新説が明記されたのだ。このように、新しい通説はまず「注」に載り、その後、旧説に代わって本文に掲載されていくのである。

以下は最近、日本史の教科書に登場してきた歴史用語(一例)である。サヘラントロプス・チャデンシス(最古の人類)、白保竿根田原洞人〈しらほさおねたばるどうじん〉(石垣島から多く見つかった化石人骨)、纒向〈まきむく〉遺跡(卑弥呼時代の遺構を続々と発見)、八角墳、乙巳の変、宝暦・天明文化などだ。いくつか解説しよう。

八角墳は、古墳時代後期の天皇墓だと判明した。乙巳の変は、中大兄皇子らが蘇我氏を打倒した事件。かつてはこの事件も含め一連の政治改革を大化改新と呼んでいたが、区別されるようになった。江戸文化は寛永・元禄・化政と三区分されてきたが、近年、化政文化のうち田沼時代は一つの画期と見なすべきだとして宝暦・天明文化が登場した。

教科書の用語が変化したケースもある。例えば「元寇・蒙古襲来」である。文科省は、モンゴル帝国が侵攻してきたことをイメージできるよう「モンゴル襲来」を推奨。結果、多くの教科書がそう記すようになった。「島原の乱」を「島原・天草一揆」と記す教科書が増えているが、それは天草の百姓も参加していること、幕府への反乱というより領主への一揆の意味合いが強いためである。

また、「竪穴式住居→竪穴住居」、「薬子の変→平城太上天皇の変」、「李氏朝鮮→朝鮮」、「討幕→倒幕」と変化している。竪穴式住居は、古墳の竪穴式石室や横穴式石室のように複数の形式があるわけではないので、「〜式」を削って記すようになった。薬子の変は、平城上皇の愛人・藤原薬子が主導したのではなく、平城上皇の関与が強いので表記が変わったのだ。

いずれにせよ、今後も教科書が改訂されるたび、歴史用語は変わっていくことだろう。

河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・歴史研究家。1965年東京生まれ。多摩大学客員教授。
早稲田大学大学院修了後、大学で教鞭を執る傍ら、多数の歴史書を執筆。
テレビ番組『歴史探偵』『日本史の新常識』出演のほか、著書に『オモシロ日本史』(JTBパブリッシング)。

(ノジュール2026年3月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

ご注文はこちら