[エッセイ]旅の記憶 vol.28
餃子の学校
平松 洋子
北京に行くなら必ず訪ねてください。そう言いながら渡された紙片を開くと、鉛筆書きの簡単な線図に星印がついていた。胡同(フートン)の奥まった場所らしい。北京の宿で荷を解いていると、ノートの間に挟んだ紙片が気になり、一刻も早く場所を探し当てなければという気持ちになった。餃子がめっぽうおいしいと教わったのである。
道に迷ったかなと不安に駆られたころ、煙が立ちこめる一角が現れた。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。屋台を覗き込むと、焼餅、葱油餅、大根餅、粥……。食べ物は食べ物を呼ぶ。はたして星印の店はその角にあった。
分厚い硝子のドアを開けると、お客は誰もいなかったが、わたしは小躍りした。昼下がりの空き時間、かたすみのテーブルを使ってエプロン掛けのおばさんが餃子づくりに専心している。生地をぶちっ、ぶちっ、低い破裂音を響かせてちぎり、麺棒で丸くのし、電光石火の早技であんをのせて包み、粉をはたいた板の上にはみるみる白い行列。旅の始まり、いきなり餃子の味と作り方を同時に体験させてくれるとは、なんて北京は気前がいい町なのだろう。あの紙片の魔法かもしれない。
じつは翌々日の日曜、友人の家で餃子づくりを習う約束をしていた。「祖母の誕生日だからみんなで餃子をつくるから、早めに来れば母が教えてくれるわよ」。勧められたものの、いきなり家族の行事に参加して足手まといになりはしないか、心配だったのだ。偶然にもその予備学習の機会が与えられたことを旅の神様に感謝しながら、ぬるいビールをとぽとぽグラスに注いで腰を据えた。わたしの注文は「羊肉水餃子 半斤」。ビニールのテーブルクロスの模様はキッチュな薔薇の花だった。
二十年近く前の旅の話である。しかし、あの餃子祭りの五日間はいつまでも色褪せることがない。毎日同じ店に通い、餃子ばかり食べ続けた。いかとセロリ。牛肉とトマト。豚肉。きくらげと卵。百花繚乱のおいしさに驚かされた。これは生き物だ。むちっと肥えたぷりぷりの皮が口中で跳ね、奔放に暴れながら餃子という生命力を訴える。誕生祝いの夜に教わったのも、餃子のおいしさは喉ごしだということ。毎日のように観察した指の動きは、扉を開けば音色を奏でるオルゴールのように、いつでもいきいきと蘇る。
餃子をつくるとき、わたしの指に北京の魔法が宿る。そう信じると、必ずおいしい餃子ができあがるのだ。
写真:大川裕弘
ひらまつ ようこ●1958年岡山県倉敷市生まれ。エッセイスト。
2006年『買えない味』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を、2012年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞を受賞。
代表作は『なつかしいひと』『サンドウィッチは銀座で』『ひさしぶりの海苔弁』『本の花』など。
世界各地を取材し、食文化と暮らしをテーマに執筆活動を行っている。
近著に『洋子さんの本棚』(小川洋子との共著)。「週刊文春」で『この味』、「dancyu」で『台所の時間』などを連載中。