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鮮やかな色彩で魅了するポスト印象派

日本人がゴッホに惹かれる理由

文=笹沢隆徳(エイジャ) 監修=圀府寺司

没後に評価が高まり、今や西洋画家界のスターダムに登りつめたゴッホは日本でも大人気。
その理由を日本でのゴッホ研究の第一人者である圀府寺司さんに聞きました。
「ストーカー行為はする、耳は切る、自殺をする、その波乱に富んだ人生が彼の絵に投影されているところが、人々の心を揺さぶるのでしょう」と圀府寺さんは語ります。

“自らの狂気を描写”
《包帯をしてパイプをくわえた自画像》
ゴッホが自画像を描くのは、アイデンティティ・クライシス(自己喪失)に陥ったとき。このころのゴッホは親友のゴーギャンとの関係が悪化し、「耳切り事件」を起こした後、アイデンティティーを失いかけていたのでしょう。包帯や帽子で武装し、何かから身を守ろうとしているようにも受け取れます。ゴッホは正反対の色である補色の効果をよく利用していたことでも知られ、この作品では上半分では青とオレンジ、下半分では緑と赤という対比が際立っており、シンプルな絵にもかかわらず強烈な印象を与えます。

“絵から漂う人生の謳歌”
《アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)》
日本に対して「光に満ちた国」という幻想を抱いていたゴッホは、自分だけの「日本」を求めて南仏に行きました。ここはゴッホにとって地上の楽園でした。暖かくて健康にもよくて、おそらくこの絵を描いたころが、人生で一番幸せだったのではないかと思います。滞在は1年と少しでしたが、ゴッホはアルル時代に後世に名を残す数々の傑作を描き上げました。この絵は、そんなゴッホの幸せな心情を伝える作品です。

“画面からにじみ出る
死の予感”
《鴉〈からす〉の群れ飛ぶ麦畑》
キリスト教社会では、種まきは「人の誕生」、麦刈りは「死」の象徴。そのため、刈り取り直前の熟れた麦は、死が近づいていることを予感させます。この絵は実際には絶筆ではないのですが、不吉な黒い鳥、熟れた麦畑、嵐の前のような荒れ模様の空、3方向に裂けた道といった組合わせが、自ら命を絶ったということと結びつき、絶筆神話が作られたのでしょう。ゴッホは晩年、縦横比が1対2になるパノラマのような「ダブルスクエアフォーマット」の作品に取り組んでおり、これはその中で特に著名な作品です。

“謎めいた宗教的苦悩”
《星月夜》
若いころ、牧師を目指していたゴッホですが、やがてキリスト教に幻滅し、教会から離れていきます。しかし、宗教心を捨てたわけではないので、そのやり場に困っていたのでしょう。精神的な悩みにさいなまれる中、彼は神に代わる心のよりどころを自然の中に見つけ出そうとしました。自然の形態だけを使って宗教的感情を描いたというのが通説で、ゴッホの本質が凝縮された作品だと思います。また、ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》同様、謎もはらんでいて、傑作とよんでいい作品だと思います。

圀府寺 司〈こうでら つかさ〉
1957年大阪生まれ、西洋美術史学者。
アムステルダム大学美術史研究所に留学し、文学博士号取得。
日本におけるゴッホ研究の第一人者として知られ、ゴッホに関する著書多数。

(ノジュール2025年7月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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