いつか泊まってみたい懐かし宿 第94回
埼玉県秩父市
新木鉱泉旅館
創業江戸後期
秩父七湯
最古の湯宿で骨やすめ
使い込まれた空間の艶やかさ
3時少し過ぎ、西武秩父駅前から新木(あらき)鉱泉旅館の送迎バスが発車した。国道299号から脇道に入り、何回か細い道を曲がると木造の2階建てが現れた。もう少し古民家然としているのかと思ったら、意外におしゃれな感じ。玄関のすぐ上の屋根から太い枝を覗かせている松の古木が珍しい。一角には、蓑や藁靴、菅笠など、民芸風のものが飾られている。右手の小さな庭の向こうの建物が、入浴棟だ。
玄関の奥には帳場と売店が見える。すぐに客室へ案内された。途中の広い板の間も少しきしむ階段も、使い込まれたもの特有の底光りするような艶を湛えている。仲居さんが天井でむき出しになっている梁を見上げながら、「200年近く前の建物なんですよ」と、少し誇らしげに教えてくれた。
創業1827年、秩父七湯最古の湯だ。当時は、秩父札所巡りの人々や近隣の湯治客で賑わったという。玄関から2階への空間が、一番懐かしさを感じさせてくれる。上には、大きな神棚があって、「大當三峰(みつみね)神社節分追儺(ついな)祭」と墨書された白木の太い棒が、紙し垂でを纏ってずらりと並んでいた。
客室は階段を登った右奥で、廊下の途中には屋根裏部屋に通じる急な階段があり、ワクワクしてしまう。
通されたのは、半畳ほどの踏み込みがある江戸時代からの8畳の和室。それほど古いとは感じられない小ぎれいさだが、当時の骨組みはそのままだという。天井を見上げると手斧の跡が残る梁が縦横に走っていた。部屋はいたってシンプルだが、テレビ、冷蔵庫、エアコン、衣装棚、姿見など、必要なものはみな揃っている。夕食(部屋食)の開始時刻やサービスで付く飲み物は何を選ぶかを聞かれ、風呂は24時間入浴可能なことなどを、説明された。
露天風呂の向こうに広がる田園風景
少しくつろいでから、入浴のついでに屋根裏部屋を探検した。注意しながら狭く急な階段を登ると、黒々とした梁が錯綜する20畳ほどの空間になっていて、コミックなどが詰まった本棚があった。梁に遮られるので、室内を移動するには潜ったり跨いだりしなくてはならないが、それがまた面白い。
玄関脇の通路で繋がった入浴棟は、手前が談話室で、その奥が男女別の大浴場だった。脱衣場に入ると、そのまま浴室内が見渡せる。広々とした大風呂はヒノキで縁取られ、白木の小さな社のような湯口からお湯が溢れていた。椅子や湯桶は木製の塗りもので風情がある。また、入口左には冷たい源泉が注ぐ大きな木桶、右には小さなサウナが設けられていた。屋外には、2、3人は入れる丸い露天風呂と、陶製のバスタブのようなひとり用露天風呂があった。大きな方は木で縁取られた、凝灰岩と思われる石の風呂。
透明で柔らかな湯は、単純硫黄冷鉱泉。しかし、硫黄臭はほとんどない。PH9・4でやや強めのアルカリ性。適応症は、神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え症、疲労回復など。久々に山歩きをしてくたくただから、ちょうどよい。
源泉とコラーゲンをたっぷり使ったという新木鉱泉オリジナル石鹸が、石鹸愛用派には嬉しい。ぬるめの大浴場にゆっくり浸かり、長々とサウナで粘った後は、冷たい源泉で身を引き締め、ひとり用の露天風呂に入ったら盛大に湯が溢れた。隙間の幅が調整できる目隠し用板塀の向こうには、のどかな田園風景が広がっていた。
夕食は部屋食で、まず秩父ビールで喉を潤す。前菜の4点盛、刺身盛合せ、秩父牛の鉄板焼き、小玉ネギのクリーム煮、イワナの塩焼き、天ぷら盛合せなど。夕食後と寝る前にも温泉で疲れを癒したことは言うまでもない。
翌朝、ひと風呂浴びて1階大広間の朝食会場へ。大きな浅い籠に盛り込まれた7点の料理と、さわ煮の鍋が用意されていた。具は牛肉、大根、人参、ゴボウ、ニラ、生麩などで、さっぱり味。朝から肉鍋というのも秩父らしかった。
さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』