[エッセイ]旅の記憶 vol.33

異なる時代を求めて

恩田 陸

昨年の暮れ、とある地方都市を旅行していて、地元では有名な老舗の居酒屋に入った。

古い木造の一軒家。黒塗りの羽目板の壁は、磨きこまれたのと煙にいぶされたのとでぴかぴか黒光りしている。開店したばかりなのに、既に店は七割方埋まっており、常連さんや出張族らが仲良く長いテーブルの脇に並んでお猪口やグラスを傾けている。私と連れは二階席に案内された。

一杯やって何品かつまみを食べて落ち着いた頃、ふと、壁に掛かった日めくりに気付いた。なんの変哲もない、白い日めくりである。だが、どこか違和感を覚えた。じっとその理由を考えていたのだが、やがて日付の上に書かれた文字が目に入る。

昭和89年

 今ではすっかり西暦が主流になっているが、昭和の頃は圧倒的に年号で年を把握している人が大部分だった。かつて生命保険会社に勤めていた頃、「昭和に25足すと西暦の下二桁になるから」と先輩に説明されたのを今でもよく覚えている。

つまり、逆にいうと西暦から25引けばその下二桁は昭和になるということで、今年(二〇一五年)から25引くと昭和90年ということになる。

さて、お客の喧噪でざわめく居酒屋で昭和89年の日めくりを眺めながら、私は奇妙な感慨を覚えた。地方や東京の名居酒屋と呼ばれる店に行くと、そこには大概、濃厚な昭和の気配̶̶もっと言うと、昭和に内包された江戸の気配̶̶が漂っている。今は二十一世紀だけれども、昭和は今も生きているし、店というタイムカプセルの中に、今も昭和を生きる人たちがいるのだ。

旅をすると、それぞれの場所が異なる時代を引きずっていることに驚かされる。奈良は未だ聖徳太子の影を感じるし、京都は平安時代の公家文化の香りが残っているし、鎌倉に行けば武家社会の礎の上に成立していることを実感する。土地ごとに時代の記憶が異なるのならば、そこに生きる人たちもそれぞれ微妙に異なる時代を生きているのではあるまいか。近頃では、そういう異なる時間、異なる時代を感じることが旅の醍醐味になってきた。この平成の御世、同時並行宇宙のように存在する、今も生きている過去に出会うために旅に出る。


写真:大川裕弘

おんだ りく●1964年宮城県生まれ。小説家。1992年『六番目の小夜子』でデビュー。
2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞を、
2006年『ユージニア』で日本推理作家協会賞を、2007年『中庭の出来事』で山本周五郎賞を受賞。
推理小説からファンタジー、ホラー、SF、エッセイまで、さまざまなジャンルで執筆を行っている。
著書に『ネバーランド』『光の帝国』『EPITAPH東京』など。近著は『ブラック・ベルベット』。

(ノジュール2015年9月号からの抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)
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