いつか泊まってみたい懐かし宿 第96回
福岡県八女市
川のじ
古い町家をまるごと借りて
昔の暮らしと空間を味わう
商業の要衝として栄えた街
西鉄久留米(くるめ)駅を出たバスは、40分ほどで福島のバス停に到着した。元城下町で、商業の要衝として栄えた八女(やめ)市の中心地だ。ここで下車して、重要伝統的建造物群保存地区の街並みを宿まで歩くことにした。
八女福島(やめふくしま)は、立派な商家が多く、かつての繁栄を偲ばせる。仏壇屋、提灯屋、武具屋、蒟こん蒻にゃく屋などが何軒も健在だった。これらの店を支える文化が根付いているのだ。西の方へゆっくり30分ほど散策すると、再生された古民家が3軒並ぶ場所に辿り着いた。
看板もなにも掲げていないが、真ん中が「泊まれる町家川のじ」らしい。柿渋とベンガラで塗装された板壁や柱と白壁が、落ち着いた味わいを醸し出しいい感じだ。ちなみに、北隣は地域のアンテナショップ「うなぎの寝床」、南隣は木工職人が住んでいるという。
コンニチハと声をかけながら、町家の中に入った。三和土(たたき)の土間はしっとりして足裏に優しくなじむ。右手には2階へ上る階段があった。これも柿渋とベンガラの穏やかな色調。
正面に畳の間があり、その奥の畳の間から川のじを運営しているNPO「八女空き家再生スイッチ」の人が顔をのぞかせた。美味しい八女茶をいただきながら、台所や冷蔵庫は自由に使っていいこと、たくさん置いてあるお酒もカンパ制で自由に飲んでいいことなど、説明を受ける。食事は自炊もできるが、外食する人が多いという。建物の鍵を受け取ったあとは、まるで自宅のように利用することができた。
この建物は以前提灯屋をやっていた町家で、そんな昔のちょっと不便な暮らしを味わいつつ現代の便利な生活について考えて欲しく、また八女を散策する拠点として利用してもらいたいと、町家宿をはじめたのだという。建物は数年前に改修され、窓の板ガラスやカーテンの代わりに昔ながらの雨戸が使われている。部屋に鍵やテレビはない。
ただし、1階左手奥の細い通路の先にあるトイレや風呂場、洗面所、洗濯機など、水回りはどこもきれいになっていて、女性でも安心して泊まることができるよう配慮されていた。もちろん、トイレは洋式だ。
忍者屋敷さながらの町家建築
木の階段をギシギシと登ったところは、通りに面した4畳半ほどの畳の間で、ソファが置かれていた。今回使う奥の8畳間にあるのは、床の間に活けた花とエアコン、ゴミ箱くらい。
広縁に立つと目の前には朽ちた建物が見え、足下の屋根と屋根の間にある坪庭には石灯籠が凛と立っていた。広縁の端には急で狭い梯子段があり、下った先はトイレだった。下には扉があって、隠し階段になっている。まるで忍者屋敷のようで面白い。
昼食がまだだったので、おすすめの店がないか宿の人に聞くと、街歩き用の手作りマップに、おすすめの店や見学ポイントを記入してくれた。
古い商家を改築した「そば季里(きり)史蔵(ふみのくら)」が気になり、入ることにする。セットメニューもあるが、直球勝負で単品の田舎そばを頼んだ。素材は、八女で自家栽培しているそばと信州産、鹿児島産のそばだという。いずれ八女産だけで賄うつもりだとか。から汁もしっかりと出汁が効いていて、そば湯で割っても割り負けて水っぽくなることもなく、鰹節のよい香りが立ち昇った。
全国で唯一大きな日除けのある茶舗や福島八幡宮、点在するハイカラな洋館風の商家などを眺めながら川のじへ戻ると、部屋に布団が敷かれ、日除けとして雨戸が半分閉められていた。
今朝は早起きしたからか、急に強い眠気が襲ってきた。涼風が通り抜ける畳に寝転んで、すぐに眠りこけてしまったらしい。目が覚めた時一瞬どこにいるのか戸惑ったが、心地よい空間にいることは分かった。なんだか親しい親戚の家で昼寝したような気分だった。しばらく黄昏時の気配を味わったら、夜の街へ一杯飲みに出かけよう。
さいとうじゅん●1954年岩手県生まれ。ライター。テーマは島、旅、食など。
おもな著書に『日本《島旅》紀行』『吐噶喇列島』『旬の魚を食べ歩く』『島で空を見ていた』。
近著は『島──瀬戸内海をあるく』(第1~第3集)、『絶対に行きたい! 日本の島』