[エッセイ]旅の記憶 vol.60
竹原駅の入場券
泉 麻人
初めて一人旅らしきものをしたのは高校1年生の夏だった。1972年、昭和でいうと47年のことになる。場所は、広島県の竹原。古い家並で知られる町だが、行こうと思いたったのは当時アンアンやノンノでよくやっていた〝小京都特集〞などに影響されたわけではなく、中学時代からの親友Y君の古里がそこにあったからだ。夏休みに親もとに帰省している時期に僕もあそびに行く……というような状況だった。まぁだから、完全な一人旅とはいえない。
その春に山陽新幹線は岡山まで開通していたが、飛行機で広島まで行って、呉線で海岸づたいに戻ってきた、というルートだったはずだ。電化されてまもない頃だろうが、貨物を引く蒸気機関車とすれ違った記憶がある。
竹原に着いたのは薄暗くなった夕刻で、なぜかY君ではなく、彼のお母さんが出迎えにきていた印象がある。家の方へ案内されていく途中、田舎じみた食料品店の店先に当時東京にはあまり出回っていなかった「ベビースターラーメン」を発見、買おうかどうか迷っているところをY君のお母さんが怪訝な顔つきで見つめていた……一瞬のシーンを妙におぼえている。
Y君の家からは少し離れていたが、格子戸や白壁の古い商家が並ぶ地区にも行った。古町のはずれの方に古本屋があって、そこでデビュー当時の西郷輝彦が表紙を飾る「少女フレンド」をゲットした。その時期からみて、せいぜい7年か8年前の雑誌なのだが、当時から僕はそういうレトロっぽいグッズに目がなかったのだ。
この行き帰りだけの一人旅、吉田拓郎が旅のエピソードなどを綴った『気ままな絵日記』というエッセー本に刺激されたのだ。この本の発売が72年夏、竹原港と思しき場所で僕が〝さすらいの旅人〞風のポーズをとったスナップに〝72・10・FUJICOLOR〞のクレジットが入っているので、高1の夏の出来事としてエッセーなどに書いていた。が、先頃、使用済のキップの類いをごちゃっと貯めこんだ箱の中から、竹原駅の入場券が見つかった。〈46.8.21〉と刻印されている。記憶より1年早い! あの頃、竹原に行ったのは1度きりだから、8月の時期からしてもY君の家を訪ねたときのものにまちがいないだろう。キップ集めをしていた僕は、わざわざ記念に買ったのだ。するとあの旅は中3の夏の出来事。写真はおそらく、1年くらいほったらかして現像に出したのだろう。いや、竹原と思いこんでいる港、どこか別の場所なのかもしれない。
イラスト:サカモトセイジ
いずみ あさと●コラムニスト。1956年東京生まれ。
慶応義塾大学卒業後、東京ニュース通信社に入社。編集者を経てフリーに。東京文化、昭和カルチャー、町歩き、音楽など、幅広いテーマで執筆活動を行う。著書に『僕とニュー・ミュージックの時代』『大東京23区散歩』『東京いつもの喫茶店』『東京いい道、しぶい道』など多数。気象予報士。