河合 敦の日本史のウラ話 第5回
日本史がターニングポイントを迎える時、綺羅星の如く現れる、偉人、賢人、豪傑、美女たち……。
誰もが知っている歴史事件とその英雄たちの背景にある、教科書が教えないウラ話を、歴史家・河合 敦さんがご紹介します。
〝愛は惜しみなく奪う〟
文豪・有島武郎の情の果て
イラスト: 太田大輔
ここ数年〝文春砲〞なる週刊誌のスクープで、不倫が発覚して窮地に陥る芸能人が多い。ただ、戦前は妻が別の男性と性的関係をもつと姦通罪が適用され、不倫相手も一緒に懲役刑に処せられることがあった。
白樺派の中心人物のひとりとして活躍し、『或る女』『カインの末裔〈まつえい〉』など、文学界に名作を残した小説家・有島武郎〈ありしまたけお〉も姦通罪で投獄されそうになったひとり。ところが武郎は、驚くべき手段で罰を免れたのである。
もともと品行方正で皇太子の御学友にも選ばれた武郎だったが、幼子〈おさなご〉を残して妻に先立たれてから、女性たちが彼を取り巻くようになった。独身の売れっ子作家でイケメンだったからだろう。人妻の波多野秋子〈はたのあきこ〉もそのひとりだった。彼女は実業家の波多野春房〈はるふさ〉と結婚していたが、子がなかったので編集者として活躍していた。大きな瞳をもつ美人で、芥川龍之介〈あくたがわりゅうのすけ〉は秋子の依頼でなければ原稿を書かないと冗談を言い、人嫌いの永井荷風〈ながいかふう〉も秋子の原稿依頼には喜んで応じたという。
ところが、モテる武郎は秋子をとくに意識しなかったため、不満に思った彼女が武郎を振り向かせようとあれこれしているうちに、逆に自分が夢中になってしまった。さすがの武郎もやがてその想いに気づき、心が揺れ始める。「この頃は何だか命がけの恋人でも得て熱い喜びの中に死んでしまうのが一番いい事のように思われたりする。少し心が狂いだしているなと自分でも思う」。これは、その時期に武郎が友人の足助素一〈あすけそいち〉に出した書簡である。
大正12年(1923)3月15日、武郎は秋子から手紙を受けとった。そこには「死ぬほどあなたを愛している」と書かれていた。決定的な言葉であった。武郎は「夫の波多野氏を欺いてあなたを愛人として扱うことはできない」と拒絶する返事を書いたものの、心は完全に秋子によって占められ、6月4日、船橋(千葉県)の旅館で密会、ついに肉体関係を結んでしまったのだ。ところが、秋子の夫・春房は、妻の言動にずっと不審感を抱いており、このときも見張りをつけていた。妻に浮気を白状させた春房は、すぐに武郎を会社に呼びつけた。武郎は、正直に秋子との不倫を肯定した。すると春房は、「それほど気にいったなら秋子は喜んで贈呈する。しかし俺も商人。ただで商品は提供できない。一万円(現在の一千万円程度)をよこせ。お前はケチだから、苦しめるには金を取るのが一番だ」と言い放ったのである。
「愛する人を金で換算することはできない」と武郎が断ると、春房は「ならば警察へ行こう。獄へ入るがいい。何も知らぬ3人の子はどうなる」と脅してきた。姦通罪の刑期は長ければ2年。告訴されたら入獄は免れない。それでも武郎が支払いを拒むと、「ならばお前の兄弟たちを呼び出し、その所業をぶちまけ絶対に金を取ってやる」とすごんだのだ。ここにおいて武郎は、春房から数日の猶予をもらった。しかしまもなく、武郎は秋子と消息を絶った。
ふたりの遺体が軽井沢にある武郎の別荘で見つかったのは一ヵ月後のことだった。遺体は腐乱してウジがわいていた。首吊り自殺だった。別荘からは親族・友人あての遺書が数通見つかっている。
「僕はこの挙を少しも悔いず唯〈ただ〉十全の満足の中にある」「私たちは愛の絶頂における死を迎える。他の強迫によるものではない」「私のあなたがたに告げ得る喜びは、死が外界の圧迫によって寸毫〈すんごう〉も従わされていないということです。私たちは最も自由に歓喜して死を迎えるのです」ーーこの文章を読めば、2人が喜んで死出の道へ旅立ったことがわかる。しかし、3人の子と老母が残されたのだから、ずいぶん身勝手な死に方をしたものだ。
武郎が命を絶った軽井沢の地は、多くの作家が避暑地として別荘を構え、すぐれた作品が生まれた場所でもある。武郎の『生〈うま〉れ出づる悩み』もここで書き上げられた。そうした文学者の資料を多く展示しているのが「軽井沢高原文庫」である。その敷地のなかに、浄月庵〈じょうげつあん〉という洒落れた和洋折衷の建物が移築されている。これが実は武郎の別荘で、ここで彼は秋子と自殺を遂げたのである。2階には武郎の書斎が復元され、彼の資料を集めた有島武郎記念室が隣室にある。1階は喫茶店になっていて、オープンテラスの藤椅子に腰掛けてゆっくりコーヒーをすすってみると、武郎と秋子の気持ちはわからなかったが、なんだか文豪の気分になり、ここで原稿を書けば一気に筆が進むような気がした。
河合 敦〈かわい あつし〉
歴史作家・研究家。1965年東京都生まれ。
早稲田大学大学院卒業後、日本史講師として教鞭を執るかたわら、多数の歴史書を執筆。テレビ番組「世界一受けたい授業」のスペシャル講師として人気を博す。
主な著書に『目からウロコの日本史』『世界一受けたい日本史の授業』『逆転した日本史』など。多摩大学客員教授。